10月26日(水)、特別提携企画ぴあフィルムフェスティバル グランプリ受賞作品『ダムライフ』の上映後、北川 仁監督が登壇し、Q&Aが行われました。
Q:ぴあフィルムフェスティバル、釜山国際映画祭、東京国際映画祭と、三つの映画祭を経た感想はいかがでしょうか。
北川 仁監督(以下、監督):どれも予想していなかったことなので、最初グランプリをいただいたことだけでも夢のようでした。そして、釜山に行って、東京国際に来て、というふうに三連続だったので、何が起こっているのか分からない感じで。
Q:監督が脚本を書かれていますが、着想はどういったところから?
監督:実家がお寺なんですが、去年の夏に1ヶ月くらい修行に行きました。実際にこういったことが起こっていたわけではないのですが、そこでの経験から思いつきました。そこでは、お寺の中に閉じ込められて1ヶ月間過ごしていましたので、閉鎖的な空間の中で、みんな頭がおかしくなってくるような感じだとか、人間性が凝縮したような感じが面白いかな、と。毎日のように、お寺の方には申し訳ないんですが、一般的には意味がわからないことを延々やらされるんです。そういう、人の言うことを訳も分からずに聞き続けていくと、イエスマンというのが過剰になってしまって、怪物のようになってしまうというところに結びついたというか。
Q:映画作りと僧侶という二つの道を選んだ理由が何かあるのですか。
監督:現実的に映画作り1本ということも難しいといいますか、稼ぐとなるとシビアになってくる。アルバイトをするなら、家業をやりながらっていうほうが親孝行というような形になって、罪悪感を感じずにできるということで、こういう方法をとりました。
Q:精神的、時間的にはどういうふうにバランスをとって、二つの仕事をこなされているんですか。
監督:時間的には、映画のことはお金になっていないので、はっきり言って忙しくないんですね。なので、時間のバランスは何とでもなるんですけど、メンタル的なバランスは難しいかもしれないですね。映画を全く知らない人と触れ合って、極端な話、映画を撮っているというのは何なんだ、と言うような偉いお坊さんにペコペコしながら、その次の日には普通に撮影しているっていうのは、自分でも分裂してるんじゃないだろうかっていうような事態ですね。わりと人を殺すような映画を撮っていますので、その次の日には普通にお葬式して、荘厳な顔してたりすると、これは何なんだろうか、と。
Q:英語のタイトルがDamnlifeとなっていて、英語的な「お前地獄に落ちろ」みたいな意味と、日本語の「舞台がダムである」ことと二重の意味があるんですか。
監督:いわゆる貯水池の「ダム」と、damnの「くそみたいな人生、命」とか、そういうダブルミーニングはしていますね。『ダムライフ』って日本語で書くと、普通に「貯水池」としての意味のダムってとられると思って、英語のほうでdamnとすることで、こっちの意味もあるんですよっていうことをパンフレットを見た人に気づいてもらえるように、ちょっとあざとくやったっていう感じですね。
Q:釜山国際映画祭での反響や面白いエピソードがあれば教えてください。
監督:向こうの方はリアクションが大きいというか、ストレートに解釈してくれます。上映が終わった後に、本当にいろんな方が「写真を撮らせてくれ」とか「サインをしてくれ」とか来てくださるので。こっちではこそこそ生きているんですけど、向こうでは僕もスターのような顔をしていました。日本では訳のわからない映画の監督には来てくれないと思うんですけれども、わりと仲良くしようよっていう感じを見せると、すぐに素直に来てくれるというか。いい方だな、素直な方が多いなって印象を受けました。
Q: 監督はどんな映画をご覧になってきたんでしょうか?
監督:大体のものは見てはいますが、好きなのはヌーベルバーグのものとか、日活ロマンポルノのあたりも好きですし、一方でハリウッド映画も当然好きで、ジャンルには縛られずに色々見ています。超大作よりもちょっと芸術映画みたいなものを見て、そっちの方がもてるだろうというような人生を送ってきました(笑)。
Q:今後、映画がヒットして僧侶としての生活が難しくなってきたときに、映画とどちらを選びますか?
監督:そうしたら、映画だと思います。お坊さんには定年がないですから、映画をできるときは映画をやってという感じでもいいと思いますね。お坊さんになったら、3分後には後悔すると思いますので、映画ですね(笑)。