10/26(水)、アジアの風『ここ、よそ』のQ&Aが行われました。
ルー・シェン監督:
こんにちは私の名前はルー・シェンです。私は日本語話せません。よろしくお願いします。
この作品はルー・シェン監督の第一作です。シェン監督はカメラマンでもあり、ワン・ビン監督の『無言歌』の撮影監督でもあります。フランスで勉強されて、ジャ・ジャンク-監督のスタッフなども務めました。
Q:カメラマンと監督とどちらがやってみてお好きですか。
ルー・シェン監督(以下:監督):それはカメラマンですね。撮影です。カメラマンはですね、撮影をカメラマンの任務を果たせばいいんですけれども、監督というのはそうはいかないで。すべてのことに気を配らなけれはなりませんね。
Q:それから今の作品ですけども3つの場所で並行して、展開していきますけども、これはどういう風に撮影をされていったのか、その順序を教えていただければと思いますけども。
監督:去年の9月にですね、山の部分を撮りました。ちょうど9月ですから秋の風景ですね。そして10月の中旬から下旬にかけて、パリでの秋の風景を撮りました。そして11月の中旬に上海の部分を撮ったわけです。そして12月のクリスマスのころにですね、フランスに行きまして、冬のシーンを撮りました。そしてまた今年の1月にまた山の所に行って冬を撮りました。そして3月に上海の冬の部分をまた撮ったわけです。ですから気温が非常に幅が大きいわけですね。25度から零下50度までの色々な季節に撮ったわけですね。
Q:三か所というのはそれは大変な撮影だったと思いますけども、一番大変だった場所はどこですか?
監督:そうですね。他の監督のカメラマンも務めて分かりますけども、とにかく映画を撮るっていうのは、どこでどういう風に撮っても困難がともないますよね。でもやはり万事初めが難しい。スタートが難しい。スタートさえ上手くいけばその後はスムーズに進んでいくものですね。
Q:三つのエピソードにおいて三人の脚本家の役割分担を教えていただきたいです。
監督:脚本についてですが、三人が脚本のところにクレジットされているが、ひとりひとりがエピソードに話を書いたのではなくて僕が大体のあらすじを作成し、そして三人で一緒に書き進めていくという形を取りました。
(登場人物の)娘がどういう風に亡くなったのかということについては、この作品では語っていません。やはり人の死というものはどのような形で亡くなろうとも非常に悲しいものです。ですから、そのことをあえて何故死んだのかを語る必要はないと考えました。実は大学時代の同級生が病気で二カ月の間に亡くなってしまったのです。それがわたしにとって本当に大きな衝撃でした。人間というものは本当に儚いもので人生は無常だなという風に思ったわけです。それがこの話に結びついています。
Q:脚本をお書きになっているとき、あるいは撮ってるとき、どういう風に作品のテーマについて考えましたか?
監督:脚本を書いてる時テーマについて考えましたけれども、どこの国でもどのような民族でも、共通のテーマを探りたいと思ってました。それはですね、人を想うということです。誰かを想うということです。人間というのは高度な知能を持った、動物ですよね。それではなぜ、人は誰かを想うのでしょうか。それはですね、人と人どうしの間では距離があるから、離れているからですよね。ではどうして距離があるんでしょう。それは我々はある場所から、そして別の場所に行ってしまうからです。それではなぜ行くかというと、自分が求めるものを探し続けてそこに旅立って行くわけです。そして探し求めていたものを得たあとも、また最初の所に戻ってこれるかというと、そうでもありません。
そして、そのままテーマですけれども、なんでそういう人を想う想いがあるかというと、人間は実に孤独だからです。
Q:娘が亡くなったシーンで、彼女は自殺をしたのだと考えました。日本や韓国と同じく中国でも自殺は社会問題ですか。
監督:この脚本を書いている時は数々の問題についてあまり答えを与えていなかったわけです。
やはり観客は映画を観ている時に背景に何があるのだろうと考えます。わたしもこの映画の中で皆さんに、好奇心をもってなぜだろうという気持ちを持ってくれるといいなと思いました。でも娘が何故死んだのかということを明らかにするよりは、携帯電話の中で彼女の写真が出てくるあのシーンのほうが死因より重要だと思いました。
どこの国においても自殺は社会問題だと思います。実は外国に住んでいた時に、友人が自殺をしました。わたしも留学先で強烈な孤独に悩まされ、自殺しようと考えたこともありました。それから自殺をせずに孤独とどのように向き合うかを学ぶようになりました。
Q:この映画を撮った動機は何だったのでしょうか。
監督:この脚本を書き始めるときに、33歳だったわけですけれども、そのときに僕の父の世代、あるいはおじいさんの世代というのはどういうことを考えて生きてきたんだろうということを考えました。
Q:なぜ山とパリと上海の3か所で撮ったのでしょうか。
監督:まず山で撮ったのは、ああいう森林の中ですと、人間の存在というのは本当にちっぽけだと思いました。また、上海のような大都会のコンクリートジャングルにいると、やはり人間は本当に小さな存在に見えます。そして、パリという都市が本当にレトロな懐かしさを感じさせる都市であるので、リュウさんのおじいさんのシーンをパリで撮ったわけです。
Q:主人公の青年が結構セリフが少なく、寡黙という設定の意図を教えてほしいです。
監督:彼がですね、僕の父に似ているからです。どこの国でもそうだと思うんですけど、親っていうのはあまり自分の息子に対していろいろ言わないし、自分の息子のことを褒めたりとかしませんよね。面と向かって言わないで、いつも側面から言います。そして、寡黙です。実はこの映画を父に見せたんですが、父が見たとき、何も感想を言わなかったんです。でも、周りの人には映画の感想を「よかった」と言ってくれていました。
Q:今後のご活動は、カメラマンが中心になるのか、監督のお仕事になるのか、それとも未定なのでしょうか。
監督:実は先月に結婚したばかりで、妻のお腹には赤ちゃんがおりまして、とりあえずカメラマンをして生活をちゃんと維持して、それから考えたいと思います。