日本のインディペンデント映画を積極的に応援しながら、その多様性を世界に示していく「日本映画・ある視点」。10/25(火)は、『ライブテープ』が2009年の「日本映画・ある視点賞」を受賞した、ドキュメンタリー監督・松江哲明監督の最新作『トーキョードリフター』が上映されました。松江監督と本作の主人公であるミュージシャンの前野健太さんを迎えて、上映前の舞台挨拶と上映後の質疑応答が行われました。
お二人は『ライブテープ』の監督&主演コンビとあって、舞台挨拶では司会者の「お帰りなさい!」という言葉に出迎えられました。照れくさそうに「ただいま」と告げた松江監督は、この作品を作ったきっかけについてこう振り返ります。
「『ライブテープ』は74分1カットという、ドキュメンタリー映画として初めての作り方をした作品です。ああいう映画作りはもうできないな、という気持ちがあったので、『トーキョードリフター』を作るにあたっては、『ライブテープ』とはまた違うことをやらなきゃいけないと思いましたし、違うことができるという確信がありました。それよりももっと大きかったのは、3月11日に地震があったこと。僕はあの日、映画祭で韓国に行っていて、日本にいませんでした。2週間ぶりに日本に帰ってみると、東京がすごく暗かった。東北が被災地と言われていますが、僕にとっては東京も被災地に見えた。明らかに、韓国に行く前と変わっていたからです。でも、その暗い東京は、33年間東京で生まれ育った僕にとって、とても魅力的に見えました。夜8時になるとお店が閉まって、街が暗くなるのが当たり前のヨーロッパのように。いろいろな意見があるとは思うけれど、僕は東京の暗さを肯定したかった。そのためにこの風景を映画にしようと思いました。そのときに、パッと思いついたのは、3月11日に日本にいなかった僕が、韓国で聴いていた前野健太さんの歌でした。そこで前野さんと、『ライブテープ』を一緒につくった仲間達に“映画を作ろう”と声をかけました」
日本全体が神経質になっていた時期に映画をつくるにあたり、スタッフ同士の話し合いにかなりの時間が費やされたそうです。松江監督はこう続けます。「スタッフの間にも、地震や放射能に関していろいろな意見があり、どういうスタンスでこの映画を撮るのかということはかなり話し合いました。僕らは元の明るい東京に戻そうというのではなく、この暗さに慣れなきゃいけないのかな、と思いながら撮りました。でも今はもう、明るい街に戻ってきています。あの暗い東京を撮ってひとつの形にしたことは、良かったとは言えないけれど、僕らが描けるギリギリを集めた記録になったと思います」
前野さんは、もじゃもじゃのヘアスタイルに大きな黒いサングラスがトレードマーク。その個性的な風貌はどこにいても人目を惹くようで、ヴィム・ヴェンダース監督と接近遭遇したエピソードを披露してくれました。オープニング・セレモニーでは、タキシード姿で、ウクレレとギターの中間サイズの楽器“ギタレレ”を手に歩いた前野さん。松江監督と一緒に控え室でギタレレを携えて待機していると、同じテーブルにヴェンダース監督が座っているのを発見! 松江監督が思わず「ヴェンダースだ!」と声に出してしまいました。前野さんはその状況をこう描写します。「僕と、サングラス越しに目が合いまして。なんとヴェンダース監督のほうから僕らのいる方向へ歩いてきました。そして、僕のギタレレを手に取り、弾き、『監督か? 役者か?』と尋ねてきました。僕は『違う。彼が監督だ』と言いました」。ヴェンダース監督は、公式パンフレットの『トーキョードリフター』のページに掲載されている写真に写っている前野さんの背中に羽根を描き、そこにサインを書いてくれたそうです。なんというエピソード! 前野さんが「今日も会場のどこかにいらっしゃると思います」と場内を見渡したり、「次のヴェンダースの映画には僕が・・・」と言ったりするたびに、松江監督が「適当なことばっかり言うなー」と苦笑いして、場内は笑いに包まれました。
ふざけているばかりではありません。舞台挨拶の最後、前野さんがこの言葉で観客を作品に誘います。「東京国際映画祭で、『トーキョードリフター』という映画が上映されます。多分、観客には東京に住んでいる方もいっぱいいらっしゃると思います。そこに何かを感じます。以上です」。
『トーキョードリフター』は、5月27日の日没から翌朝の夜明けまで、前野さんが東京の街のあちこちでギターの弾き語りをする様子を追ったドキュメンタリーフィルム。途中で雨に降られながらも、ギターをかき鳴らし、あの日以前よりも暗い新宿や渋谷で歌い続ける前野さんの姿と東京の夜に観客は引き込まれながら、東京について、自分の人生について、日本について、様々な思いを巡らせます。
上映終了後、拍手に包まれた場内。観客と一緒に映画を鑑賞した松江監督と前田さんが再び壇上に呼び込まれ、Q&Aが始まります。笑顔の松江監督が、まずは率直な心境を語ります。「この映画は地震が起きたから撮ろうと思ったわけじゃないんです。当時はとてもそんなことをできる心境ではなかったから。きっかけは、4月11日に行われた高円寺の原発反対デモを観たこと。あと、石原慎太郎さんが都知事に再選した後のニュースで『強い東京』という発言をしている人に僕は違和感があった。それは、強いということがこんなにも脆いことを1ヵ月前に知ったはずなのに『まだ強いって言うんだ!』という違和感です。ということは、いつかまた東京が明るくなっちゃうんだろうなと思って、映画を撮ろうと思いました。動き始めてから、スタッフ同士、どういうスタンスで撮るのかを話し合いました。実家が被災したスタッフもいましたし、家族が東京から避難したスタッフもいた。5月27日の撮影日までは本当にいろいろと話し合いました。だからこそ、こうして出来上がった作品を観ると、スタッフと前野さんに感謝の気持ちでいっぱいです」。それを受けて前野さんは何度も何度も「意外に良かった。いや、意外に良かった」と繰り返し、松江監督から「“意外に”ってやめない!?」とつっこみを入れられていました。和やかなムードの中、以下のようなQ&Aが繰り広げられました。
--一晩で撮った作品とのことですが、ロケ地のコースを教えてください。
松江 新宿、明大前、井の頭通りを走って渋谷、中野、最後は埼玉なんですよ。川口の入り口です。東京から橋を渡ってすぐのところ。スーパー銭湯に行くときによく通るんですが、好きな場所です。
--撮影クルーは何人ですか?
松江 前野さんを含めて、僕、カメラマン、録音、記録、車両、制作進行の全7人です。
前野 七人の侍だね。
--コースは決めていましたか? それともゲリラですか?
松江 ロケハンでは他の場所も回りました。実はここ六本木ヒルズの辺り、東京タワーの見えるところで歌おうかという案があありました。あと、銀座のブランドがたくさんある通り(並木通り)や、終電後のお茶の水駅もロケ地候補でした。でもこれは日没から朝日が昇るまでの映画なので、二晩で撮っても意味がない。現実的に一晩で回れるコースにしました。そうなると必然的に、自分が普段から良く行く新宿、渋谷が中心になりました。明大前は、前野さんが昔住んでいた街です。前野さんが外階段で歌うあのアパートは、前野さんが実際に住んでいたので選びました。1ヵ月半かけて3回くらいロケハンして、街を探しました。その間に、スタッフと地震や原発について話したことが、韓国にいて3・11を経験していなかった僕にとって、すごく重要な時間になりました。
--選曲は『ライブテープ』よりもセンチメンタルな曲が多いかと思います。どのように選曲しましたか?
松江 街に合う歌を選びました。僕が東京に戻ってきて、最初に行ったライブが前野さんのライブだったんですけど、「東京2011」「新しい朝」が、地震の前とまったく聞こえ方が変わってしまった。だから僕は「新しい朝」は最後にもってきたかった。それをリクエストしつつ、前野さんが「これはどうですか?」という提案もしてくれました。
前野 『ライブテープ』とは全曲違う歌にしたいというのがありました。
松江 渋谷で雨が降ってきたから「雨が降る街」を入れたんだっけ?
前野 そうだね。
--前野さんは3・11前はラブソングのイメージが強かった。この映画によって、前野さんが“社会派”と捉えられる気がしますが、それをどう思いますか?
前野 もともとラブソングを多く作っていた気がしますけど、今年の2月に出した最新アルバム『FUCK ME』ではけっこう社会派と言われています。一部では。
松江 そうなの?(笑) あ、福岡でね。ラジオのDJに「風刺が効いている」って言われましたね。
前野 もともと、そういう気持ちでつくった歌はあったので、3・11以前、以後、みたいな線引きは僕のなかにはないです。社会派と思われるのは大歓迎です。
松江 (笑)
前野 たしかに、最初は参加することに抵抗がありました。やっぱり、歌の聞こえ方が変わってくるだろうなという気はしたので。でも、自分の歌がこういう街でどう響くのかが見てみたかった。抵抗よりも、やってみたいという気持ちのほうが強かった。
--前野さんの歌の聞こえ方が変わってくるというリスクを、松江さんはどう考えますか?
松江 それは僕のリスクではないと思います。『ライブテープ』は“僕が聴いた前野健太”というセルフドキュメンタリーの側面が大きかったから“監督”とクレジットを入れました。ぜひ、映画を観たら、前野さんのアルバムやライブを聴いてほしいですね。『トーキョードリフター』はあくまでも、“僕が撮った前野健太”なんですよ。前野さんは僕の解釈を受けて、演奏してくれた。前野さんはアプローチを変えられる人で、そこを僕は信頼しています。あと、前野さんは社会派というよりも、普遍性が強くなったと思います。社会が変わったことで、前野さんの歌の強さが際立った。僕が思ういい歌は、そういう歌だと思います。それを前野さんがどう受け止めて表現していくかは、今後の活動次第だと思います。エンディング曲の「トーキョードリフター」も、昨日スタジオレコーディングしたバージョンは、まったく違うものになっています。
この話の途中で、実は「トーキョードリフター」は松江監督が作詞したことが発覚! それについて、前野さんは「作詞問題ねー」と話を広げます。
前野 この映画に関してはやっぱり、やりたい気持ちもありつつ、やりたくないという気持ちが強かった。撮影当日は、午後3時の段階で雨が降ったら中止にしようという話だったんです。その日僕は体調が悪くて、2時頃に雨が降ってきたから「やった!」と思って「中止だよね?」と電話したら、松江さんは「え? 降ってる?」ととぼけて、撮影決行になりました。やったらやったで、ずぶ濡れで、本当につらかった。それ以前に、やっぱり毎日がすごい状況で、西の方へ避難する人も周りにいたし、僕自身もいろいろなことを考えなきゃいけなくて。そんな混乱した状況のなかで映画が動き始めて、きつい状況ではあって。松江さんは松江さんで、「こういうのが真実で」とか「これが正解で」とか言わないんですよ(「絶対言わないよ!」と松江監督)。シナリオもないし、ぼかしぼかしで進めるから、僕もイライラするわけです。そうなると、「あなたの歌を聴かせてよ」なって、「詞を書いてください」と言ったんです。松江さんには絶対に書けると思ったから。で、その詞が良かったんです。
松江 あの撮影は10時間のライブをやったような感覚だったんです。カメラマンはハンディカムで、オートフォーカスで撮っていた。なんとなく、ピントの合ったものを5月のあの段階で撮っちゃいけない気がしていた。カメラマンにとってはすごくリスキーなことをやらせていたんです。そこで僕が詞を書けといわれて「できない」なんてKYなことを言っちゃいけないと思いました。あれはたしか朝方、荒川でのロケハンのときに言われた気がします。朝5時のテンションで。とりあえず書こう、それでNGだったら仕方ないなと。それは歌う人の判断だから。
--撮影が5月27日だということですが、この日にこだわりは?
松江 この日付にはないですね。単純に、スタッフみんなが集まれる日。タイミングとして、候補の日はこの日と、1ヵ月後にあったんですけど、僕としては、街が明るくなる前に撮りたかった。実際、7月になると明るくなってきたので、この日で良かったと思います。
前野 6月に入って雰囲気は変わりましたね。
--「雨の降る街」は、雨の降りそうな日に撮ることを前提にしていたのかなと思ったら、そうではなかったんですね。松江さん的には、雨が降って、「よし!」という感じでしたか?
松江 現場では、「雨降れ」とは絶対に言えません(笑)。ただ、人生でこんなに何回も携帯のネットで時間別の降雨情報を調べたことはないですね。それは、今だから言いますけど、あんまり早い時間に降ってほしくなかったんです。どれくらいの映画の流れかを意識して、タイミングよく降ってほしかった。新宿では「まだ降らないでくれ!」と思ってました。
--他の人が書いた詞に曲をつけて歌った感想は?
前野 言葉尻をなおしたりはしました。詞が入ってこないと歌えないので。人の書いた詞は、自分との距離感が面白いですね。「トーキョードリフター」という言葉には気持ちが入ります。
--お二人にとって東京とはどんな街ですか?
前野 この映画の、セブンイレブンの前で歌った2曲目「東京2011」という曲に、4月頃の、僕の東京に対する気持ちは込めてます。
松江 僕は立川生まれ、吉祥寺育ち、今は中野に住んでいる。だから東京は、生まれ育った場所以外の何ものでもないです。ロケハン中にスタッフが言っていた「東京は東京だから。それ以外のなんでもない」という言葉が、すごく僕にとってもしっくりきます。東京は東京でしかない。世界中をみても、こういう街はない。暗くなっても東京は東京だなって思います。
前野 東京は歌をつくる場所だし、歌がある場所。他の街に住んだら、歌がつくれるかどうかわからない。今は、僕が歌をつくる=東京で歌をつくるという感じかなと思います。
--前野さんを主演に、また映画を撮りますか? 3部作の可能性は?
松江 どうですかねえ。わからないですけど、撮るとなったら、またこのスタッフだと思います。
前野 このスタッフじゃないとやれないと思います。
松江 これは『ライブテープ』よりも撮らざるをえなかった作品です。あとひとつ言えるのは、『ライブテープ』がないと撮れなかった。いきなり『トーキョードリフター』はつくれない。前野さんとの信頼関係があったから、逆に壊せたし、さらに違うことができた。次があるとしたら、また違う形でこわしていくと思います。ただ、アイデアは自分でつくりだすわけじゃない。自然と「撮らなきゃ」と思うんだと思う。これはすごく特別な作品です。
前野 撮る前も、撮ってるときも、こんなことやりたくないって思ってました。松江哲明という人は酷い人だと思ってたし、嫌いだった。それなのに、さっき上映が終わったとき隣にいる松江さんと握手したくなったんです。松江さんに質問なんですけど、松江さんは、撮ってるときに、僕と握手する光景は見えているんですか?
松江 僕はけっこう見えてるんですけどね(笑)。僕と前野さんって、スタッフ全員そうなんですけど、根っこが一緒だと思うんです。自分でできることをやって、みんなに見てもらったり、聴いてもらったりしてる。僕は同世代の映画人よりも、前野さんに近いものを感じるんです。表現の仕方がインディペンデントなんですよね。そういうアプローチをしていたら、握手できると思います。今までの作品づくりの経験からすると、握手か、絶好かどっちかしかないんですけど(笑)。
Q&Aコーナーが終了しようとしたところ、前野さんがすっくと立ち上がりました。そして、最後にこんなメッセージを観客に投げかけました。「僕、“意外に”良かったと思ったのは、東京国際映画祭という大きな舞台で上映してもらえて、こんなにたくさんのお客さんが来てくれたことが大きいのかなと思います。今日は遅い時間にもかかわらず、ありがとうございました」。拍手が鳴り響く客席に向けて、松江監督も続きます。「東京国際映画祭は小さい映画を見つけて僕らにはできない広げ方をしてくれる映画祭だと思っているので、『トーキョードリフター』はここがスタートだと思います。小さい映画なので、観た方一人一人の力が大きく伝わる作品だと思います。今日、この場所でみなさんに観てもらえて、作品が生まれて、本当に良かったと思います。いい上映をありがとうございました」
トーキョードリフター