10/24(月)TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen6にて、アジアの風部門 『われらの大いなる諦め』 Q&Aが行われました。
登壇をしたのは、セイフィ・テオマン監督。
©2011 TIFF
まずはテオマン監督から「おいでいただき、ありがとうございます。Q&Aにも、ほぼ満員の状態で残っていただいて嬉しいです。ご存知のとおり、昨日10/24、私の母国トルコで大地震が起きました。同じように、日本で起きた震災に対しても、心からお悔やみ申し上げます。」とご挨拶。
Q:男性二人と女性が一人が一緒に暮らすという設定が、奇妙なのだけどとても素晴らしく、面白い作品だと思いました。この設定についてどういう経緯があったのでしょうか?
テオマン監督:奇妙というより、「珍しい」という表現が正解かもしれない。例えば大学時代に、安上がりだという理由で一緒に暮らすということはよくあると思います。そんな関係が、長く、何となく続いている。あの二人は若い頃の心を持ったまま成長したのです。実は、この作品には原作があります。不思議だけど特別ではない二人の男性の関係に、読んでいて「その気持ちが分かる!」と、とても興味深く感じたので映画化しました。
Q:私はトルコ系ドイツ人です。最近はいろんな国際映画祭でトルコ映画が見れるようになり、とても嬉しいと思っています。この状況をトルコ映画のルネッサンスのように感じているのですが、若い監督たちが海外の映画祭に出品するようになったのは、トルコの映画産業に何か変化があったのでしょうか?
テオマン監督:トルコには60〜70年代に、年間300本以上製作するほどの、いわゆる黄金時代がありました。メロドラマが多く、映画会社が中心となっていました。ところが、90年代にその黄金時代が崩れ、映画産業が崩壊してしまいました。かつては巨匠と呼ばれる監督が沢山いて、彼らは独自の形式や、野心を持っていた。私たちの様な新しい世代は、ここ3〜4年で海外の映画祭に出品するようになって来ました。ある意味ブームが来ていると言えると思います。2005年に政府によるパブリックファンドが設立されたことが理由だと思います。わずかな額ではありますが、それを得ようとして若手監督が奮起している。多くの監督がこのファンドを利用し始め、アートフィルムが成功しないと思っていた人たちの励みになっていると思います。
Q:線路に2枚のコインを置いて電車にに引かせるというシーンがありましたが、そのシーンはどういう意味を持っているのでしょうか?
テオマン監督:見ていただいた通り、電車で引いて平たくすることが目的です。子どもの遊びの一種で、少年のままでありたいということの表れです。子どもはよくハグをするので、彼らがその時にしていたハグがどういうものかは想像して欲しいです。
Q:原作があるということですが、男性ニ人の中に女性が一人入ってくるという設定を、女性二人、男性一人でも面白いんじゃないかと思ったのですが、その考えはありましたか?
テオマン監督:考えつきませんでしたが、それもありですね(笑)性別で物語のダイナミズムが変わってくると思いますが、その設定も面白いですね。ご存知だと思いますが、年配の男性が若い女性に想いを寄せるということは、文学の世界では何度も描かれているオーソドックスな設定です。『ロリータ』がいい例だと思います。昔から描かれている設定ですので、「こんなふうになるな」と皆さんが思うようなことに遊びを加えて、自分なりにアレンジしました。
Q:前回の来日の際に大変なシネフィルということをお聞きしましたが、これまでの映画でも男性二人、女性一人という設定はよくありますよね。何か意識した監督や作品がありますか?
テオマン監督:三人の恋愛部分よりも彼らの友情を描きたかったので、そこに視点を向けて作りました。その部分は、自分なりに新しいのかなと思っています。「despair」という言葉は、十代に戻りたいけれど、戻れないダメな中年の姿を表しています。トリュフォーの『突然炎のごとく』を意識して、モノクロのシーンも撮りましたが、あまりにあからさまだったのでカットしました。その後、偶然にも原作者がトリュフォーの映画が好きだということが分かりました。
Q:とても素敵なキャラクターで複雑な関係を描いていると思いました。女性の心情についてですが、監督自身は彼女が彼らに対して恋心を抱いていると思って撮影をしていたのですか?
テオマン監督:男性のことをあまり知らない純真な女性が、両親が死んだというトラウマを抱きつつ、2年間の共同生活の中で徐々に男性を理解していくという展開にしたかったのですが、撮り始めてみると思ったより複雑な展開となりました。男性側にそのような意識があると知り、彼女の生活は緊張感のあるものになります。一人の男性が彼女に手を出してしまったら、彼女はもう一人の男性に打ち明けてしまうだろうな、と思いながら撮影していました。
Q:節目節目に挿入されているアンカラの美しい風景が印象深く、映画の進行上とても効果的だと思いました。とても大きな役割を持っていると感じましたが、何か意図があって取り入れたのでしょうか?
テオマン監督:当然、景色を挿入することには目的があります。時間の経過を表すためによく使われる手法です。観客の皆さんがこの景色を見て、2年の経過を想像してくれるだろう思いました。実は、原作者はアンカラをとても愛していて、原作はアンカラへのラブレターのような内容になっています。いろんな風景が書かれていて、市内の魅力が沢山出てきます。アンカラという大きな町を、彼らの庭のように感じ、アンカラの風景を挿入することで原作者の思いを取り入れることにしました。