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2011.10.28
[イベントレポート]
私の人生の4年間をこの映画に費やしました。――10/26(水) 特別招待作品 『ブリューゲルの動く絵』:舞台挨拶

10/26(水)特別招待作品 『ブリューゲルの動く絵』の舞台挨拶が行われ、レフ・マイェフスキ監督が登壇しました。

最初にレフ・マイェフスキ監督から一言。
「こんにちは。本日はお越しいただきありがとうございます。」
あまりにシンプルだったため、司会者から「もう一言、二言お願いします。」と言われて「絵の方が多くを語りますから。」とにんまり。
 

レフ・マイェフスキ監督
©2011 TIFF

――――この作品について、エピソードを2、3聞かせてくださいませんか?
マイェフスキ監督:この映画について語れと言われると、もの凄く時間が必要になります。私の人生の4年間をこの映画に費やしたんです。まず1年目が準備期間、半年が撮影、2年半がコンピューターによる製作作業で、この期間はCGの担当者と毎日顔を突き合わせていました。その作業はまるで、中世の時代にデジタルのタペストリーを紡ぎ出すような作業でした。
 
僕は弟子を沢山持つ寺院の僧侶のような立場で、スタッフは一生懸命作業をしてくれるのですが、あまりに時間がかかるので、彼らの恋人や奥さんから”食事を作って待っているのに貴方はいつ帰ってくるの?”というような電話がしょっちゅうかかってきました。
 
まず絵を描く土台作りのために100位のサンプルとなる絵を見て、その中から2ダースほど選びました。ブリューゲルが使っていたような色あいを出すためには、その土台に全て手描きで色を乗せて作らなくてはならないことに気が付きました。そして全て手縫いで衣装を作らなくてはならないため、縫製のためのスタッフが40人ほど必要になり、非常に長い時間を費やす作業が続きました。
衣装に関しては、絵の中に出てくる人々を参考にできましたが、風景に関しては、とてもリアルに描かれていたので現代では参考にできる土地がありませんでした。当時は、まるで床のようにまっ平らな土地であったはずなのに、絵の中の風景は岩場や山々が描かれている。これらは全てブリューゲルの想像上のものだったのです。
 
それから、最初に背景の似たようなものを撮影して、その映像に約100人のエキストラを配置し重ねて行きました。しかし彼の描いた世界観とは異なりました。研究してみると、当時のルネッサンスの画家の作品は、1つの視点で描かれている物が多かったのですが、彼の描く風景には7つの違う視点が描かれているということが分かりました。全て実際にはない風景で、CGで作らざるをえなかった。この絵をパンで例えると、サンドイッチ用のパンを更に薄くスライスしてできた層のようなものです。我々もブリューゲルの絵のように、ポストプロダクションでその層を実現しました。少ないところで40層、多いところは147層あります。
 
――――ルドガー・ハウアー、シャーロット・ランプリング、マイケル・ヨークのキャスティングに関して教えていただけますか?
マイェフスキ監督:ルドガー・ハウアーに関してはとても簡単。ブリューゲルの自画像が1点だけ残っているんですが、彼にとてもそっくりなんです。
私は映画監督だけでなく、画家でもあり、アーティストでもあります。各地で展示会をやっているんですが、この映画をベースにしたビデオアートがルーブル美術館で展示されていました。このビデオアートを見たシャーロット・ランプリングから直々に手紙を貰い、彼女の出演が決まりました。”私の年になると監督に選ばれるんじゃなくて、私が監督を選びたいのです。”と言っていました。
マイケル・ヨークの奥さんであるパットさんは写真家で、二人でニューヨークで開かれた展示会に来てくれました。マイケル・ヨークもシャーロットと同じ様にビデオアートを見て、”そういう映画があれば是非私を出演させてください。”と言ってくれました。
 
これからご覧になるみなさんに、この映画を通して監督自身の伝えたいメッセージは?との質問に、「ハンバーガーはあまり食べ過ぎない方がいいよ。」と謎の言葉を残して舞台挨拶は終了しました。

©2011 TIFF
 

ブリューゲルの動く絵

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