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2011.11.04
[イベントレポート]
「真実を伝えたい」という気持ちで、この作品を作りました―― 10/27(木)、24(月)コンペティション『J.A.C.E./ジェイス』: Q&A

10/27(木)コンペティション『J.A.C.E./ ジェイス』の上映後、メネラオス・カラマギョーリス監督、主役を演じたアルバン・ウカズさんが登壇、Q&Aが行われました。

 

©2011 TIFF

 

 

―― まずはじめに、朝早くから詰めかけてくださった皆様に一言お願いします。

 

メネラオス・カラマギョーリス監督(以下、カラマギョーリス):こんなに朝早くから劇場に足を運んでいただいた皆さんに心より御礼申し上げます。今回の上映では1回目の上映よりも多くのお客様に足を運んでいただき、嬉しい限りです。

 

アルバン・ウカズ(以下、ウカズ):今日はお越しいただきありがとうございます。完成した作品を見ていなかったので、今日の上映を皆さんと一緒に見られたことは大変光栄です。また、1度目の上映より2度目の上映により多くのお客さんにお越しいただいたと聞き、今回の上映に来られて嬉しく思います。
皆さんが震災の後に対応をされる姿を見ていて、日本という国、日本の人々を本当に素晴らしいと思っています。皆さんが勇敢に立ち向かう姿からは、ヨーロッパはバルカン半島からきた私たちも、学ぶものがたくさんありました。皆さんが落ち着いて対応され、前向きに生きる光を見つけて進んでいる姿を見ていて、学ぶべきものが多いと思っています。

 

 

Q: 素晴らしい作品をありがとうございました。この作品が一般公開され、1人でも多くのお客さんに見ていただければと思います。人身売買がリアルに深いところまで描かれていたと思うのですが、どのくらい詳しくリサーチされたのでしょうか?

 

カラマギョ―リス:ありがとうございます。TIFFに出品した後いくつかの配給会社の方からお声をかけていただき、本当に嬉しく思っています。質問にお答えするにあたり、最初に基本的な情報を説明する必要があります。ギリシャはバルカン半島にありますが、半島にある国々の国境は、過去に何度も変わりました。第二次世界大戦後にはアルバニアとギリシャの国境も変わり、同じ民族であるにもかかわらず国境を隔てて住まなくてはいけなくなりました。それから50年を経て、国境を越えて自分の国に帰っていくという人々も多くいます。そのような人物を今回の主人公にしました。
リサーチに関しては、広く深くしっかり行いました。ギリシャは地形的に様々なものが交差する場所にあるので、商業によって人も様々な物も行き来します。その流れのなかで、この作品で描いたような人身売買も行われています。人身売買は、新聞などを通して、日々の生活のなかで耳にしているものでもあります。

また、リサーチは単に脚本を書くためではなく、役者のリハーサルのためにも必要でした。特にアルバンは役づくりをするために様々なものを読み、理解を深めなければなりませんでした。

 

©2011 TIFF

 

ウカズ:残念なことですが、この臓器売買が商売として成立していることも事実です。バルカン半島の国々だけでなく、ヨーロッパの政府はみな、今まで真剣に対策をとってきませんでした。特に孤児というのは身近な所に近親者がいないので、書類なども簡単に扱えるため、臓器を売っても大きい問題にならないというのも事実です。また、特にヨーロッパでは、高いお金と引き換えてでも臓器がほしいと思っている人が多く存在します。また、このことを伝えるのは私の責任だと思うのであえてお話しますが、臓器売買に関わっている人の一部には政府との癒着があるのだと思います。

 

©2011 TIFF

 

 

Q: 引き込まれる映像でした。その要因として、ロケーションの選定や室内の装飾があると思うのですが、その点において監督のこだわりはありますか?

 

カラマギョーリス:おっしゃるように、私は1つ1つの場面や俳優の演技がこの映画を構成していくものだと考えていなので、それぞれに強いこだわりを持ってつくりました。そして何より真実を伝えたい、正しいことを伝えたいという気持ちで、この作品を作りました。

 

 

Q: 主人公がたった一言話すシーンがありますが、そのセリフに決めた理由は何ですか?また、そのセリフを言った時のアルバンさんの気持ちを教えてください。

 

ウカズ:この役を習得するために様々な映画を見ました。特にキム・ギドクやウォン・カーワイのようなアジアの映画では、口数の少ないヒーローが存在するので、参考にしました。沈黙からキャラクターを読み取るのは難しいものですが、沈黙もコミュニケーションの一つのかたちです。
私はコソボ出身なのですが、サラエボに10年住んでいます。そのサラエボに知り合いの心理学の教授がおり、「この役を習得するために24時間誰とも話さないで過ごしてみたらどうだろう」とアドバイスをいただきました。この試みによって、明日1番に発する言葉がどのようなものであるのか、またその時の声の感じがどのようなものであるのかがわかると思いました。
ジェイスは信じられる人がいないため、この世界を悪だと思っていて、話さないことによって悪に罪を与えています。リハーサルをする間でも24時間一切口をきかなかったので、他の俳優やスタッフに怒っているのではないかと思われました。この24時間の試みの後、生活のあらゆるところに静寂があることに気がつきましたし、沈黙も特別な形のコミュニケーションであることを学びました。また、ジェイスが置かれたような環境では、静寂が自分を守る術であったことがわかりました。

 

カラマギョーリス:主人公が沈黙を保つ理由のひとつはお父さんとの最後の約束を守るためでした。また、沈黙とは彼にとってあらゆる人々とコミュニケーションをとる手段でもありました。実際にその約束を守ることができなくなった理由が、初めての恋だったのです。

 
 
10月24日(月)にも行われたカラマギョーリス監督、フェニア・コソヴィツァ プロデューサーによるQ&Aの模様です。
司会は矢田部PDです。

 

カラマギョーリス:ありがと(日本語で)。本日はこの作品を見に来てくださる皆様の熱い情熱を感謝申し上げますし、温かく東京に迎えていただいたことを大変うれしく思います。ありがとうございます。

 

フェニア・コソヴィツァ プロデューサー(以下:コソヴィツァ):小さな国の小さな映画にこんなたくさんの方に集まっていただいて、本当にうれしく思います。小さな国ではありますけれども、すごく大きなプロダクションでアイデアもクリエイティビティーとしても面白く、大きな心意気で持ってまいりました。ありがとうございます。

 

矢田部:ちょっと私から一問目をお伺いしますと、本当に複雑な物語で、展開もたくさんあるわけですけれども、監督はこの脚本をどのようにして書かれたか、どこから着想なさったか、物語の誕生の経緯をお聞かせいただけますか?

 

カラマギョーリス:ギリシャでは伝統的に古代から、たとえば「ホメロス」ですとか「オデッセイア」にみられるような複雑なストーリーというのがありました。そういう意味でも特別なものではありません。
オデッセウスと今回の主人公でありますジェイスですが、オデッセウスはオデッセイアという話の中で、自分の家に戻るための冒険・旅を続けます。それとは逆に主人公ジェイスは家からどんどん遠く離れて自分の居所を見つけていくということになります。
皆様は日本にいらっしゃいますので一つ説明しなければいけないことがあります。ギリシャにありますバルカン半島の国境というのは、いつも安定しているわけではございません。
そのため今回の主人公ジェイスなんですけれども、現実の歴史と重なっているところがあります。ギリシャは第二次世界大戦後、ギリシャ人はアルバニアとギリシャ国内と別れて住むような状況になりました。今回の主人公ジェイスはそのような状況が変わった50年後、またアルバニアからギリシャに戻るんですが、どこに行っても外国人という立場です。
ですからこの映画の一番基本的なテーマともいえるのですけれども、主人公、それから国境、これは確実に引かれた線の上にあるものではなく、動くものなのです。
 
Q: あらすじでは実話と書かれていますが、すべてがそうなのですか。

 
カラマギョーリス::さまざまな作品の中にいろいろなストーリーが出てきますが、今回の物語も含めて、日ごろのギリシャの新聞の中で垣間見られるようなテーマです。そういう意味ではどこにでもあるようなテーマです。

 

Q:とてもエキサイティングで長時間の映画にもかかわらず、どこひとつだれたシーンがなく最後まで緊張感あふれる作品でした。そこで質問ですが、作品の中で何カ所かチャプターで分かれている部分がありました。私はあれをしなかった方がリズム感があって、最後まで一気呵成に見せることができたと思うのですが、付けた監督の意図を教えてください。

 

カラマギョーリス:この件に関しましては私たちがこの作品を制作する上で大変議論になった部分であります。そういう意味でこの部分に質問いただけたことは大変嬉しく思います。たくさん議論し喧嘩も重ね、最終的に落ち着いたのは、チャプターごとにわけることでした。ジェイスがこの作品の中で手帳を持っているのを覚えているでしょうか。あの手帳の中に書いてあるメモのような形で、ひとつひとつが彼の人生のように積み上げていくというふうにさせていきました。

 

Q:監督やプロデューサーさん自身にとってギリシャの映画だなと思うところはありますか。

 
カラマギョーリス:まず私の作品がいいのか悪いのか私自身でも悩んでいるところです。よくわかりません。ただ今回、温かい言葉をたくさんいただいたので東京に来てよかったなと思っています。東京に引っ越してこようかな(笑)。さていただいた質問にお答えしますが、この作品はギリシャ的であると言っていいと思います。ギリシャ的というのにもいくつか考え方、見方があると思うのですがギリシャ人として、この映画はギリシャ的であると思います。 バルカン半島にギリシャは位置しているのですが、この半島には様々な民族が住んでいて、その一部が混ざってギリシャに住んでいるというふうに見ていただければいいかと思います。私たちギリシャ人は、小さい時から学校でギリシャの歴史を学んでいるのですが、オリバーツイストなど様々なものも含めてギリシャ的なものだと思います。
 

コソヴィツァ:これは100%ギリシャの映画だと思います。クリエイティブという面ではとてもギリシャ的ではあるのですが、プロダクション的には、インディー系のヨーロッパのプロダクションであります。
 
矢田部:最後、一言お願いします。
 
カラマギョーリス:Greekというとあちこち巡って戻ってくるという意味があるのですが、そのような偶然にめぐり会うことができてよかったです。皆さんにこうして集まっていただき温かい言葉をいただいて本当に嬉しく思います。映画祭が成功することを心より祈っています。
 
コソヴィツァ:温かくお迎えいただきありがとうございます。質問もいただきありがとうございました。

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