10/29(土)、WORLD CINEMA部門 フレデリック・ワイズマン レトロスペクティヴ オープニング作品として『クレイジー・ホース(仮題)』の上映が行われ、フレデリック・ワイズマン監督をお招きしてのQ&Aが行われました。
フレデリック・ワイズマン監督(以下:ワイズマン監督):皆様ようこそお出でくださいました。今回4回目の来日になります。で、東京国際映画祭でこの『クレイジーホース』が上映されたことまた、また私の回顧展(フレデリック・ワイズマン レトロスペクティヴ フレデリック・ワイズマンのすべて)が開かれる、そして日本中を私もツアーできるということを非常に楽しみにしております。この『クレイジーホース』というのは2009年の春から夏、そして秋にかけてパリのクレイジーホース、これはジョルジュサンク通りにあります。もし必要だったら電話番号もお教えしていいんですけど。そこで撮影されました。
これは撮影期間がですね、10週間かかりまして、実際に撮ったラッシュ、のべ撮影時間は150時間分のものを撮りました。初めて私はフィルムではなくて今回は、ハイビジョンカメラを使って撮影を行いました。この編集に約1年かかっております。
クレイジーホースは私が撮った今までの作品の中で4回目のダンスをテーマにしたものなんですね。最初にバレー、そしてパリオペラ座のすべて、そしてボクシングジムこれも私はダンスの一つだと思っております。そして、今回の作品ということで、如何に体を使った表現をするか、これに非常に興味を持っております。
実はほかの作品に関しても、常に「体」っていうものがテーマになっておりまして、体を拒否するものエッセンス。そして3本の軍隊についての映画も撮っているんですけど、これは自分の体を国家のために使うっていうテーマ。そしてまた『チチカット・フォーリーズ』。これは体が収監されている――刑務所に入っているっていう状態。また『病院』と『臨死』という作品はこれは体が病に侵されているっていうこと。そしてまた『DV-ドメスティック・バイオレンス』は体の虐待ですよね。また4本の障害を持った体、要するに不完全な体についてのテーマの映画も撮っております。『クレイジーホース』も体を使う表現って言いましたけど、ほかの作品も全部そういう意味ではつながっているんです。
Q:前作の『ボクシングジム』もすばらしかったんですが、本作は2011年度のベストフィルムだと確信しています。今回の舞台で一列で人物たちが並んでいる様子は『チチカット・フォーリーズ』を彷彿とさせたのですが、ワイズマン監督の作品の中で人々の注視を集めるものとしてスペクタクルというものがすごく大きなポイントになっているんだと思います。身体という一つのテーマと同じくらい大きなテーマで、監督にとってのスペクタクル、人の注視を集めるもの、スペクタクルというものに対する意識をお聞かせ下さい。
ワイズマン監督:確かにおっしゃる通りです。私は『チチカット・フォリーズ』ではあれは刑務所の中ですけど、やはりバラエティーショーを作るというそういうテーマでしたし。また『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』のリハーサルとそしてショーですよね。オペラ座の場合ももちろんそうですし、あとモデルっていうのもモデルたちがいわゆるパフォーマンスをするという意味では、そういうテーマについてはそっくりだと思います。そして、私は体を使って演技をする・パフォーマンスをするというか表現をするというのがテーマの一つなんです。
Q:脚本はどの程度まで仕上げて撮影に入るのでしょうか。
ワイズマン監督:今回の『クレイジーホース』の場合は半日だけクレイジーホースにいました。ただリサーチというものは実際に撮影が開始されてからやるんですね。というのは何が起きるかわかりませんし、何を言うか、何をするか、どういう衣装を着るのか全く知らない状態で、ひとつひとつ発見しながらやっていくので、リハーサルとかパフォーマンスなど全部見ながら撮っていきます。 ちょうどフィクションを撮る場合はシナリオが出来てその中で即興とかが入ってくるんですけど、私は全くない状態からはじめて編集の段階で作品(脚本)を作り上げます。
Q:本当にカメラがそこに存在しないかのように撮っている対象が警戒していないのですが、信頼関係なのか準備なのかわからないのですが、どうやったらあんなふうにやれるのでしょうか?
ワイズマン監督:みんなは僕の大きな耳のほうに注意がいってしまって、そっちを見てるから、カメラを見ないのです。(笑)
これはフランスとアメリカで撮影をしているんですけれども、特に皆さん、カメラを気にしないし、「撮影してもいいか」と聞いたときに断られたこともない。ちょっと説明がつかないんですけれども、私は本当に問題があったことがなくて、見栄をはるとか無視をするとかそういうものがあるのかどうか、はっきりとはわからないです。
例えば『クレイジーホース』の撮影中は、ずっと昼も夜も彼らと一緒にいてしゃべったりすることも多いので、カメラを回している時間のほうが短いわけですね。だから、彼らが完全にカメラを意識しないで撮れたのだと思います。また、彼らがちょっと見たいと言えばカメラの中も覗いてもいいですし、説明もします。そういった意味では神秘性を取り除くということもします。しかし、『福祉』という映画のときには、本当に撮っている時しか彼らに会っていないわけですから、それがひとつの説明になってないかもしれないです。
Q:多角的視点が内報されていると思いますが、それはある程度撮る前から想定しているのか、また撮っているうちにどんどん膨らんでいくのか、それとも編集の段階で見えてくるのかどこであそこまで広がりができるんでしょうか。
ワイズマン監督:先ほどの脚本の時にも言いましたが、どういう状態になるのか、どういう構成になるのか、全くわからないのです。ですから、ラスべガスに行くのと同じで「ギャンブル」です。サイコロをどう振るか、どう出るかということで、どれだけの資料がとれるか、題材がとれるか。それが編集の段階でテーマとか構成ができ上がってきて、編集に入ってきて6カ月、8カ月経ってきて初めてはっきりしてくるのです。
まず、編集段階ではラッシュ(撮ったもの)を全部見ます。大体一回見て半分にします。半分にしたあと、これは最後まで使えるんではないかというところを6カ月から7カ月かけてつなげていきます。それができ上がったところで、はじめて構成ができて、それから初めてのファイナルバージョンを作るわけですね。それを変更したりしながら完成させていくんですけれども、それはだいたい完成品よりも30~40分長すぎます。それから6週間かけて、リズムを生みだすとか、シーンの関係性を見ながら段々だんだん作り上げていくんです。最終的に「これだ」って決める前にラッシュを、今回の場合には150時間、もう一度全部見て、捨てた中に言いたかったことや重要なことがなかったかというのを見て、今回もありましたけれども、それを拾ってきて、そして完成させます。
Q:今回、ハイビジョンを初めて使われたということで、対象が室内で暗いということがあると思うんですが、そのいきさつを教えてください。
ワイズマン監督:フィルムで撮る資金繰りが出来なかったからです(笑)。私の好みをきかれたら、フィルムのほうが本当は好きです。でも、48分くらいをHD(ハイビジョン)で撮ったら35ユーロで済むところを、同じものをフィルムで撮ったら1100ドルくらいかかる。そういう計算でHDになりました。フィルムほどHDは質がよくないんですが、ああいう暗い室内では明かりがあまりよくないということもあります。ただし、最近のカメラで35ミリのレンズを付けるとほとんどフィルムと変わらないというものは出ていますけど。
Q:今回もワイヤレスマイクは使われていないようですが、カメラは何台使われることになったのか。特に編集で再構築されていく中で、ハイビジョンカメラに変わったことによってなにか大きく変わったことはあるのかどうか。
ワイズマン監督:ワイヤレスマイクに関しては、会議の場合はテーブルの上に2 – 3個置いていましたし、常に振付師と芸術監督の2人には常にワイヤレスマイクをつけていました。カメラは一台です。今回の『クレイジーホース』は、何度も撮るチャンスがありました。福祉や裁判ものの場合は、ワンチャンスしかないような状況ですが、例えば、ベリーダンスの場合は毎晩2回上映され土曜日は3回というようなことで、何度も一台のカメラで違う夜に撮ることができました。それに女性の場合はメイクをしていて見た目があまり変わらないので、様々なアングルから撮ることができました。そうしないとワイドショットひとつになってしまいます。今回はそのような撮り方をしました。
Q:今、撮影されているものはありますか。
ワイズマン監督:実はすでに撮り終えた作品がありまして、『University』 という題名で現在編集中です。また来年の春にはパリでお芝居を演出する予定です。これはアメリカの詩人エミリー・ディキンソンさんが題材のお芝居です。