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2011.10.30
[イベントレポート]
日本の観客が伝えたかったメッセージを一番深く理解していただいたのではないかと思います―― 10/28(金) natural TIFF 『ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年』Q&A

10/28(金) natural TIFF『ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年』の上映後、ドミトリー・ワシュコフ監督が登壇、Q&Aが行われました。
10/28『ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年』

©2011 TIFF

――監督から皆さんにご挨拶をお願いします。

 

ドミトリー・ワシュコフ監督(以下、監督): この作品の監督を務めましたドミトリー・ワシュコフと申します。ご挨拶に代えまして日本の皆様に対する私の簡単な印象を述べたいと思います。日本の皆さんは自然に対する繊細な見方を保ちながらもこのような高度な文明を作られました。世界でも稀有な民族だと私は考えております。

 

Q. 皆さんこんばんは、そして本当に素晴らしい作品を上映してくださいましてありがとうございます。ちょっと興味があったのでお伺いしたいんですけれども、ツンドラでの体験について、教えていただきたいと思います。実際に撮影されるときに、カメラを持ってハンターの方々と小屋の中で生活をされていたんだと思うので、もう少しどんな感じだったのか詳しくお伺いできればと思います。

 

監督: 詳しく話すと大変長くなってしまうので、簡単に申し上げますと、私はモスクワの住民なので、監督として村に撮影に行く場合は、監督として迎えられて例えばお茶を飲みませんかとか誘われて、すべての環境が整えてもらえると思って、向かったんですね。もともとこの映画アイデアを出してくれたのは、村に住んでいたミハエル・タルコスフィーという私の友人だったんですけれども。ただ実際に大きな町から村に行ってみたところ、本当に未開の地と言ってもいいような村で、面倒を見てもらえるどころではなく、まったく完全に村の住民から放っておかれたんですね。嫌われたというわけではないんですが、そんな私の面倒をみるどころではない。皆さん自分の生活で忙しいですから。“勝手にしてください”という態度だったんです。仕方ありませんので、私も村の住人と同じように、薪を割ったり、水を汲んだり、魚を釣ったりして、一カ月ぐらいたったところ、ようやく村の住民たちも新しい住人である私に慣れてきました。まあ、同じように外からやってきたけれども、私たちと同じように、自分の分のご飯と言いますか食料は自分で取っている。ただ、違いと言ったらカメラを持っているぐらいだと。そしていろいろ私たちに質問をするけど答えてあげてもいいかなと、そういう雰囲気でこの映画の撮影が始まりました。

 

――まず御自分が村の人々の生活に溶け込むところから、この映画の製作が始まったというわけですね。

 

監督: そうですね。人についての映画を撮りたいと思ったらまず、同じような生活をして、親しくなることが大事だと考えています。ある場所に、突然5日ぐらいしか滞在しない予定で行ってカメラを設置してさっと撮影して帰る。それでは本当に人がどんな生活をしているかといった映画は撮れないと思います。まず同じような生活をして溶け込んで馴染む、それが大切だと思っています。

 

Q. ヴェルナー・ヘルツォーク監督が参加した経緯を教えてください。

 

監督: 私はこの映画を最初はロシア用の映画として撮ったんです。元々の形は4つの季節から成るシリーズもので、各季節が1時間弱、合計で4時間くらいの長い映画だったんですね。それがたまたま私の友人を通じてアメリカに渡りました。それをヘルツォ―ク監督がたまたま観たんです。彼の奥様がロシア人でして、つてを頼って私を見つけて。そして、スカイプで話し合いをした時、彼が「90分の国際版を作ろうじゃないか」と提案してきたんですね。ヘルツォ―ク監督はドキュメンタリー監督として非常に有名な方で、そしてたいへん誠実な方だということは私も知っていました。ヘルツォ―ク監督がこの映画の自分の解釈を私に話してくれて、私の解釈と完全に一致していたんですね。それで、私も「90分のショートバージョンを作ろう」という話に賛成しました。

 

――4時間を90分にというのもまた大変の作業だったんだと思うんですけれども…

 

監督: 短くする方が長くするよりも簡単ですね。

 

Q. なぜモスクワで生活している監督がこの映画を撮ろうと思ったのか。そもそもどういうところに惹かれて、このような映画を作ろうと思ったのか、聞かせていただきたいと思います。

 

監督: まずこの『ハッピーピープル』というタイトルは都会に住む私から彼らを「幸せな人々」「ハッピーピープル」と名付けたということですね。というのは、彼らに聞いてもその人たちがはたして自分たちが幸せだと答えるかどうか、それは分かりません。
 
なぜこの場所やこの人たちを選んだのかについてお話したいと思います。今の世の中では、私たちは何かあるいはだれかに従って生きざるを得ないという状況に置かれていると思うんですね。例えば、政府であったり、首相であったり、警察であったり。それよりは、自然に従って生きた方がよっぽど素晴らしいことだと、私は思うんです。
 
自然と共に暮らすということがどれだけ素晴らしいか。例えば、前の日に次の日に何をしようか、予定を決めていたとします。でも、翌日の朝になって強い風が吹いていたら、「予定していた場所には行けないから別の仕事をしよう」。例えば、川に氷が張ったらもう魚釣りができないから、「それでは森に狩りに行こう」。このどこかのおじさんが決めたルールに従うのではなく、自然が出してくるルールに従うほうがどれほど素晴らしいことなのか。このことをお見せしたくて、私はこの映画を撮影しました。

 

Q. 冬から春を過ごすための小屋を作るところから始まりますけれども、毎年同じ小屋は使わないんでしょうか。それともひと冬越すと新しく作り直さないといけないのでしょうか。

 

監督: ハンターが小屋を作っているシーンでは、屋根に木が落ちたので修理をしないといけない。それに暖炉に煙を出す為のパイプが詰まってしまって、その小屋が使えなくなってしまうんですよね。他にもいくつか小屋を持っているのですがその小屋は、15キロくらい離れていますので、どうしても修理をせざるを得なかったという状況を描いています。あのシーンについてはあくまで修理をしているシーンです。
 
テンを狩るハンターは、ひとりひとりが広大な土地を借りることができ、その土地の中にいくつか小屋を作ります。いくつかの小屋を、円の範囲に作り そこから放射状にあるところに小屋を作ります。ひとつの小屋から別の小屋までの距離は12キロくらいに設定します。なぜなら冬の間は太陽の出ている時間が短いですから、1日の日中に移動できる距離が大体このくらいということからです。また1年でこの小屋を作るのではありません。家を建てるのも大変なので、何年もかけてこの小屋を作っていくのです。そしてそれぞれの小屋と小屋の間の通るルートに沿ってテンを捕まえる罠をしかけるんです。当然、小屋を多く作れば作るほど罠もたくさん仕掛けられますからその分、収穫が増えます。その小屋を作りはじめるのは春に基礎の部分の丸太を築き、残りの壁の部分は夏といった順番で組み立てていきます。

 

Q. ロシア人の猟師さんや村の人々はある時期にどこかから移住してきた人なのでしょうか。

 

監督: 色々な少数民族が住んでいました。ひとつの民族ではなくて、遊牧民の集団が住んでいたので、定住をしていなかったんです。15世紀から17世紀にロシア人がだんだんシベリアに進出していったんですけれども、それまでは遊牧民を支配していたのはまた別のタタール人という民族だったんです。その昔から住んでいた少数民族は、タタール人の迫害を受けていて貢物を払っていました。そしてロシア人がシベリアに移住、進出をはじめてわずか90年でウラルから日本に近いカムチャッツカまで一気に進出してしまったのです。征服と言ってもいいと私は思っているんですが、特に少数民族の側からの反抗はなかったそうです。元々住んでいた人たちは遊牧民ですから、そのまま森に入って隠れてしまえばロシア人の影響を受けることもなかったと思うんですけれども、ロシア人が持ち込んだ便利な生活や文明の誘惑に負けてしまって、その人たちは、徐々にロシア人が作った村に入ってきて同じような定住生活を始めたんです。そのロシア人が持ち込んだウォッカとかの影響を受けて、アルコール中毒の問題が大変深刻になっています。そして自分たちがこれまで持っていた伝統を失ってしまったんですね。悲しい出来事ですが事実です。

 

 

――監督、最後に一言で皆さんにご挨拶をお願いします。

 

監督: 最初のご挨拶の時に申し上げたことの繰り返しになってしまうかもしれませんが、やはり日本の皆さんが私の伝えたかったメッセージを一番深く、理解していただいたのではないかと思っています。本日はご覧下さりありがとうございました。
10/28『ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年』

©2011 TIFF

 
ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年
 

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