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2011.11.09
[イベントレポート]
“導く”という意味は、他人に対してだけではなく、自分自身にも向けられるべきものなのです――10/27(木)アジアの風『カリファーの決断』:Q&A

まだまだ日本の映画ファンにはなじみの薄い地域でありながら、巨匠=ガリン・ヌグロホ監督を筆頭に、(以前より国際映画祭での評価は高かったのだが)『虹の兵士たち』(08)の大ヒットでその名を不動のものとしたリリ・リザ監督や、大阪アジアン映画祭2009でフィーチャーされた『空を飛びたい盲目のブタ』(08)の鬼才=エドウィン監督の諸作、TIFFでも上映された『バージン』(05)や『ガレージ』(06)など、芸術性と娯楽性が高いレベルで融合した作品を輩出できることが証明されているインドネシア映画界。
そんなインドネシアより、今年のアジアの風に出品されたのは『鏡は嘘をつかない』と『カリファーの決断』という、毛色の違う2作品。その『カリファーの決断』上映終了後に、ヌルマン・ハキム監督を迎えてのQ&Aが行われました。
カリファーの決断

©2011 TIFF

 
最初に、ハキム監督から会場のお客さまへのごあいさつ。
 
ハキム監督:まずは、私の映画を観てくださってありがとうございます。また、『カリファーの決断』が東京国際映画祭で上映されたことをとても嬉しく思います。すべてのインドネシア映画が、東京で上映される光栄を得るわけではありませんから。
 
『カリファーの決断』は、敬虔なイスラム教信者の男性と結婚した主人公=カリファーが体験するさまざまな出来事をつづった作品ですが、その中で重要なキーワードとなるのが、ムスリムの女性が身につけるヴェール=ニカブ。このニカブに関する話題を中心に、Q&Aは進行していきました。
 
司会:この『カリファーの決断』は今年の1月にインドネシアで公開されたとお聞きしていますが、国内での反応はいかがでしたか?
 
ハキム監督:残念ながら、あまり多くの方に観ていただくことはできませんでした。そもそも、インドネシア映画全般が国内で人気がないということもありますが、この映画にはいくつかのボイコット運動がありまして。例えば、あるバンドがそういうことを訴えたり、イスラム急進派がアピールをしたりと。リベラルで近代的なイスラム集団は、気に入ってくれたりもしたのですが。また、ちょうど1ヶ月ほど前にテレビでも放送されたのですが、その時は検閲が入りまして、全体の10%ほどがカットされてしまいました。
 
――その10%は、どのようなシーンだったのですか?
 
ハキム監督:カリファーがニカブを着たり、脱いだりする場面がほとんどです。イスラム急進派を刺激するおそれがあるという理由で。具体的にいいますと、バス停で、ひとりの女性が激昂してカリファーのニカブに手をかけるというシーンがありましたよね? ちょっと暴力的な。まず、あのシーンがカットされました。また、家の中で夫(ラシッド)がカリファーに「女性は、大事なところは全て覆い隠さなければならない」と、イスラムの言葉を引用して諭すシーン。これも全部カットされてしまいました。
 
――映画では、ニカブを身に着ける女性は少数派で、偏見もあるように描かれていましたが、これはインドネシアの実情なのでしょうか?
 
ハキム監督:ニカブを着ている女性が街中に多くいるというわけではないのですが、彼女たちがカリファーのように迫害を受けることはしばしばあります。インドネシアは世界で一番イスラム教徒の人口が多い国なのですが、それでもこのような状況なのです。
 
――カリファーという名前は“導く者”という意味をもっていると映画の中で語られていますが、この名前を主人公につけた理由は何だったのですか?
 
ハキム監督:じつは、サウジアラビアでは女性にカリファーという名前をつけることはできません。男性にのみつけられる名前なのです。カリファーという、私の故郷の友人がサウジアラビアに出稼ぎに行ったことがあるのですが、その際に雇用主は改名を求め、彼女のことをファティマと呼んでいたそうです。そのようなサウジアラビア的考えに対する皮肉を込めて、私は本作の主人公をカリファーと名づけました。女性が“導く者”=指導者になれないことはありません。“導く”という意味は、他人に対してだけではなく、自分自身にも向けられるべきものなのですから。
 
――(インドネシア語で)ニカブがこの映画の重要なトピックのひとつだと思うのですが、これを日本の観客に、どのようにみてほしいとお考えですか?
 
ハキム監督:ニカブを着ている女性は、必ずしもそれを強要されているわけではありません。欧米の人にはニカブを悪いもののようにとらえる傾向がありますが、そうではない、正しい見方をしてもらいたい。女性がニカブを着ける意味の「別の側面」をみてもらいたいと思って、私は『カリファーの決断』をつくったのです。ニカブを身につけている女性は(眼の部分が開いているので)まわりを見渡すことができます。でも、周囲の人は彼女の表情がみえない。そこが、ニカブを身に着けた女性の強さなのです。
 
司会:監督は恋人や奥様にニカブを着てもらいたいですか? あるいは、彼女の自由にまかせますか?
 
ハキム監督:もし彼女が「心から希望して」ニカブを身に着けたのであれば、私は何もいいません。ただ、周囲から強制されるなど、彼女に意に反したものであるならば、私は断固として反対します。私の叔母はニカブを着ていますが、それは彼女の意思ですので、私は何もいいません。
カリファーの決断

©2011 TIFF

 
――トルコではニカブを着用する人が増え、イスラム教徒が勢力を伸ばしているとききますが、インドネシアはいかがですか?
 
ハキム監督:インドネシアでは、まだそれほど多くの女性がニカブを身に着けているわけではないのですが、それでもその数は増えてきています。ニカブを着用する女性の多くは、それはイスラムの教えからきていると解釈しているのですが、私の考えでは、ニカブを身に着けるという行為はアラブの習慣からきています。イスラムの教えとアラブの習慣、このふたつが次第に混ざりあっていって、民衆の中に浸透している。そのような気がします。
 
――質問ではなくてコメントなのですが、カリファーでない、別のニカブ姿の女性が、カリファーの勤めている美容室にやってくるシーン。あの時の、ニカブをとった女性の表情がとても印象的でした。ニカブを着たカリファーの瞳は、どこかおどおどしていて、周囲の様子をうかがっているような感じなのですが、彼女の瞳はとてもいきいきとしていて。彼女がカリファーにいう台詞で「あなたも何年かニカブを着ていれば、誰か区別がつくようになるわよ」というものがありましたけど、監督がおっしゃったように、それは魂の問題で、ニカブというのは何かを隠すためのものではなく、自分の個性を出せるものなんじゃないか?と思いました。また、ラストシーンで、彼女のもとに届いたニカブを見つめるカリファーの瞳にも強い印象がありまして、あの後、カリファーがニカブを着たとしても、あるいは着ないという選択をしたとしても、いままでとは違った人生を送れるのではないでしょうか。
 
ハキム監督:いまのご意見に賛成です。

 
と、ひとことだけ述べられて、にこやかに微笑んでいる監督に、軽くどよめく場内。
 
司会:主演のマーシャ・ティモシーさん、素敵な女優さんですが、彼女をキャスティングした理由は何だったのでしょう?
 
ハキム監督:彼女は顔の表情がとても強く、感情表現がはっきりしているんですね。そこに魅力を感じました。ただ、彼女はキリスト教徒でしたので、カリファーを演じることに反発するイスラム教徒がいたのも事実です。そういったイスラム教徒は、無意識のうちに宗教差別をしているのですが。私はそういった差別をしたくなかったので、迷わず彼女を選びました。それは、『カリファーの決断』が差別について訴えている映画だからです。ニカブを身に着けている女性を差別してはいけない、と。

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