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2012.02.02
[更新/お知らせ]
映画ファン必見! TIFFから世界を旅した作品『歓待』の1年の軌跡を辿るシンポジウム!

第24回TIFF会期中の2011年10月26日(木)、「日本映画・ある視点」部門とPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の提携企画上映会にて、PFFグランプリに輝いた『ダムライフ』の上映前に、第23回「日本映画・ある視点」で作品賞を受賞した『歓待』の小野光輔プロデューサー深田晃司監督をお迎えし、シンポジウムを開催しました。
その動画レポートは、好評のうちに配信を終了しましたが、今回、多数の要望に応えるべく、シンポジウムの模様をテキストで採録してみました。
日本映画作品を海外展開したいと思っていらっしゃる方、また、今後、どう制作しようかと考えていらっしゃる方、若手映画監督の方々、もちろん、日本映画ファンも必見のシンポジウムです!
 

 
2011年10月26日(水)13:20 – 14:20 シンポジウム「日本映画・ある視点」部門
登壇者:小野光輔プロデューサー深田晃司監督
司会:矢田部吉彦プログラミング・ディレクター
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
 
矢田部吉彦プログラミング・ディレクター(以下:矢田部PD):本日は東京国際映画祭(TIFF)にお越し下さいましてありがとうございます。シンポジウムと銘打っておりますが、これからトークセッションという形で1時間くらい話をしていきたいと思います。そもそもTIFFの「日本映画・ある視点」部門の上映企画で、昨年(2010年)からぴあフィルムフェスティバル(PFF)とTIFFは連携を深めています。日本の自主制作映画、インディペンデントをより応援していきたいという思いからPFFと組んでいこうという試みです。
10年から、PFFの受賞作品の上映をTIFFの特別枠で行なっています。11年はPFFの時期が9月でしたので、決まった瞬間にうちのプログラムに入れるというような、ちょっとバタバタでしたが、『ダムライフ』という作品が見事受賞いたしました。
トークセッションのテーマですが、「インディペンデント映画の海外進出について、『歓待』の辿った一年」というタイトルを付けています。『歓待』という深田晃司監督の作品が、昨年(第23回TIFF)の「日本映画・ある視点」部門に出品されて作品賞に輝き、それからかなりエキサイティングな一年をこの映画は旅することになりました。インディペンデント映画がいかに海外進出をするかという非常にいいケースが生まれたと思っていますので、その舞台裏を知り尽くしているプロデューサーをお迎えして、いかに映画は旅ができるかというところを伺っていきたいと思います。
まず、その小野さんのプロフィールについてお伺いできたらと思います。映画のプロデュースを手がけられて、『歓待』は何作目になるんでしょうか。
 
小野光輔プロデューサー(以下:小野P):私は東宝という大手の映画会社にサラリーマンとして所属していたのですが、その後、CM制作会社をしていた友人が、映画部門を作りたいという事で、やるからには合作をやりたいからちょっと手伝ってくれないかという話がありまして、「ピクニック」という会社に入社して、劇映画を2本プロデュースしました。
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
矢田部PD:合作をやりたいということは、海外進出といいますか、海外と一緒にやることに意義があると思っていたということですか。
 
小野P:東宝を辞めた後に、海外の映画会社が日本で映画を撮りたい時に、ロケ班を手伝ったりというようなコーディネート的なことをやっていました。企画の依頼というか、手伝ってほしいという話が来るのです。最初はそういう感じでやっていたのですが、私自身もともと高校時代をアメリカで過ごしたこともあって、英語ができた割にはその後の人生でほとんど活かせなかったというのがあったのです。国際的な感覚が自分の武器だと思っていたので、やるのであればコーディネートとか、プロデュースの手伝いをやるのが一番いいんじゃないかと思って、こういう世界に徐々に入っていったという感じです。
 
矢田部PD:ある意味、自然な流れでもあった訳ですね。
 
小野P:もともと東宝入った時も最初はプロデューサーをやりたいといって入ったのです。ただ、当時はなかなか自由にはなれなかった。そういう意味では遠回りしましたが、もともとやりたいことには近づいたという感じですね。
 
矢田部PD:では、『歓待』の話に入っていきたいと思います。今日は3つのポイントについて聞いていきたいと思います。『歓待』の優れたところ、特徴的なところは、ひとつめは海外の映画祭に多く出ているということですね。2つめはインディペンデントであるにも関わらず、海外で権利が売れて海外で商業公開されるということ、3つめが日本でも劇場公開されるということです。海外の映画祭に出て賞を獲っても、日本の劇場ブッキングができない作品がかなり多くあります。ですので、映画祭に出て海外に権利も売れて日本の劇場公開も果たすという3つのことを達成しているかなり稀有なインディペンデント映画ではないかと思っています。
この先、映画作りに携わるものとして参考にできるものがあればという思いで、お聞きしたいと思うのですが、まず、『歓待』の企画、脚本、どの段階で小野さんは関わられたのでしょうか。

 
小野P:私以上にメインでプロデュースしている杉野希妃がいろんなところで喋っているのですが、まず深田監督との出会いは「パリシネマ」というパリでやっている映画祭がありまして、そこでボランティアで日本人の通訳を手伝っていた方がいまして、彼が、一時日本に戻って来ていたときがありました。その彼と会ったときに、若い監督で今、面白い人がいるという話を聞いて、その監督たちの作品を観せてもらったのですが、その中で杉野が一番気に入ったのが深田監督の『東京人間喜劇』だったんです。それで、深田監督に会いたいという話をこちらから持ちかけました。
いずれ何か作品があるのであれば、杉野は役者でもありますし、彼女を会わせることで一緒にできれば面白いかなと思ったんです。最初、短編のシナリオを持って来てくれてそれが非常に面白いんですよね。でも、杉野がこんなに面白いんだから長編にしないかと。長編にしないとビジネスチャンスもないだろうし、映画祭も長編にしたほうが狙いやすいんじゃないかと主張しまして。それで私も次に深田監督に会った時に、これを長編にしてほしい、と。やるからには杉野は女優としてもいいし、奥さん役にどうかと提案して、一緒にやろうとなっていったわけです。
 
矢田部PD:撮影が行われたのは09年から10年にかけてでしょうか。完成が2010年の春くらいですか?
 
小野P:多分、最初に会ったのが私と杉野がプロデュースする予定だったヤスミン・アフマドが亡くなった3日後と杉野は言っています。私は何日後か覚えてないのですが、とにかくその直後だったんですね。それから開発にかなり時間をかけて脚本を長くしていって、そういう意味では、まあ開発に8ヶ月ぐらいはかけて、10年の7月の後半に撮影しました。
撮影している段階で、深田監督のことを以前から山田宏一さんが評価されていたり、あと深田監督が(エリック・)ロメールを大好きだったりということがあって、たまたま撮影前に矢田部さんのブログを読んだ時に、矢田部さんがロメール好きのプログラマーだと知ったんです。
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
矢田部PD:それは初めて聞きました。
 
小野P:実際撮影するに連れて、ある程度撮影したものを観ると、私としても出来がいいのかなと思い始めてきて、深田監督は自身が撮った画に関して厳しい人間なのですが、その深田監督が今回、画はいいの撮れていますと言っていたので、大きめの映画祭を狙えるかなと思いました。それで、狙うんであれば矢田部さんがプログラマーをやってらっしゃる東京国際映画祭に出られたらいいなという気持ちもあって、いつ締切かというメールをさせていただき、8月10日ぐらいにラフカットを事務局の方にお渡しできたという感じです。
 
矢田部PD:その日のことはよく覚えていまして、見せていただいたらとてもよくて、翌日には、お願いしますというような返事をしたような気がするんです。その時点では他の映画祭とか、これからの展開のこととか、どのようにイメージなさっていたんですか?
 
小野P:私と杉野はもう3年前くらい前から色んな映画祭の企画マーケット等に、様々な企画を出したりしていました。企画が進むかどうかはその後、監督との相性やいろんなことがあると思うんですが、私たちは合作企画を出すのでなかなか成立がしにくかったり、未だに3年くらいかけて動いているものがあるのですが、いろいろな映画祭を回りつつ、どの映画祭がどんな作品を好むか、どの映画祭に出すことで世の中に広がるかを理解するためにも、いろんな人に会ってきたのです。そういう意味で、この映画はまず日本の東京国際映画祭かフィルメックスのどちらかに出したいという気持ちが私の中にありまして、その次がロッテルダムだったという感じです。
私はロッテルダムというのが一番世界に広がりやすい映画祭なのではないかと思っていて、国内での成功は置いて、より多くの映画祭のプログラマーが来るのがロッテルダムなので、自分の母国以外のプレミアはロッテルダムにしたいと思っていたんです。
 
矢田部PD:海外展開したいと希望するプロデューサーないし製作者は、まず映画祭の特徴や、特性を知っておいて損はないと思いますし、ロッテルダムはインディペンデント映画の一番大きな映画祭ですしね。東京国際映画祭が10月、フィルメックスが11月、ロッテルダムが1月の下旬という形で、秋冬の映画サーキットと言いますか、ツアーに乗ると。しかし、ロッテルダムにつなげていくにはどうしたらいいんでしょう。
 
小野P:何よりもまず、プログラマーたちといろいろな映画祭で会って顔をつなげていくというのが大事だと思います。海外の映画祭などは、まあ映画祭によりますけれど、知り合いの作品だったら見てはくれる訳ですよね。見てくれても最初の10分でダメだと思ったらその後見ないというのはあります。また、プログラマーの前に予備選考の人たちがいて、そういう人たちの場で落ちてしまうケースが多いと思うんですよね。
ロッテルダムに一番近いのは釜山映画祭なんです。釜山とロッテルダムが提携しているので、私は必ず釜山映画祭にも行くようにしているのですが、『歓待』に関して釜山映画祭も考えていたのですが、スケジュール的な問題を含めて物理的に厳しいかなという部分がありました。東京の場合は日本映画であれば字幕がない状況でも見ていただけるというのがあったんで、『歓待』は東京国際映画祭に、最初に見ていただいたのです。『歓待』の2週間前に撮り終わった『マジック&ロス』という映画があるのですが、この作品は11年の東京国際映画祭に選んでいただいているのですが、1年前の釜山にも選ばれていて、最初から釜山を狙って英語を用意して作ったので、そういう意味で釜山からロッテルダムというラインを見ていました。でもロッテルダムには選ばれなくて、結局『歓待』を選んでいただくことになりました。いずれにしても12月以降の冬のサーキットに自分たちの作品を渡せるかというのが大事なポイントだと思いますね。
 
矢田部PD:ロッテルダムに決まり、同じようなタイミングでどんどん他の映画祭も決まっていったと思うのですが、1年間で映画祭からいくつくらい招待されましたか?

 
小野P:11年の12月末まで35~36くらいにはなるんですが、実際、声がかかっているのはもっと多いんです。例えば、トライベッカとニューヨークのND/NF(ニューディレクターズ・ニューフィルムズ)の両方から声がかかった場合、どう選んでいくかというのがすごく大事ですよね。だから最終的には30いくつかなんですが、ロッテルダムに出てロッテルダムのインダストリースクリーニングの後、一気にオファーが来ましたね。
ロッテルダムのスクリーニングがある日の前に、私たちは現地に早めに入ってマーケットに参加しているメンバーのリストを見て、ID上映とそれ以外のスクリーニングスケジュールを送りました。それが効いたかもしれないです。
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
矢田部PD:映画祭のオファーが殺到して、戦略的にはどういう観点で映画祭は取捨選択していったのですか。
 
小野P:断ってしまった映画祭もあるのですが、私は監督とも相談して、まず何よりも国際映画祭を大切にしました。もうひとつはマーケットがある映画祭ですね。マーケットがある映画祭というのは限られていますが、マーケットがある映画祭は絶対に狙おうと思っていました。それが香港だったり上海だったり比較的大きめの映画祭にはなってしまうのですが。次に考えたのは、国際映画祭つまりインターナショナル・フィルム・フェスティバルで、私たちとしてはまず監督や杉野の名前をより多くの海外の人に覚えていただきたいと思ったので、やはり国際映画祭を中心に選ばせていただきました。日本を特集している映画祭は有難い映画祭ではありますが、私と杉野が制作するものは合作映画が多いので、いわゆるアジア以上の映画祭をできる限り回りたいと思いました。
 
矢田部PD:釜山、ロッテルダムというラインを狙う流れの中で幸運にも東京に来てくださった訳で、東京もそういった機能をもっと強化していかなければならないと思っています。
これから映画祭ビジネスの話をしたいのですが、これだけ映画祭に受けたという点を考えますと、『歓待』の何がその映画祭に受け入れられたと思いますか?
 
小野P:最初から私も杉野も深田監督もアメリカは意識してないのです。だからタイトルも、これ矢田部さんに気に入られるためじゃなく、「hospitalité」というフランス語のタイトルにしたんですよね。昔から「インターナショナル=英語」という感覚が嫌いで、深田監督も比較的もともとフランス映画で育ってきた監督でもあるし、杉野も必ずしもアメリカが大好きというだけの人間じゃなく、そういう意味でもなんで英語をインターナショナル・タイトルにしなくてはいけないのかと思って、まず「hospitalité」というフランス語のタイトルを付けたのです。それなのに何故か、アメリカでの評価が一番高いというのが…。まあ、有難いとは思いますが。アメリカの映画祭だけで20近くの映画祭に出ていますし、アメリカでの公開や契約もいくつか決まっていますし、そういう意味でも必ずしも私たちの映画祭戦略が正しいのかどうか分からないです。
とにかく、何が良かったのか分からないのですが、ひとつは深田監督の才能、それに脚本家としての才能もあると思います。もうひとつは字幕をやってくださった監督の知人の字幕のグレードも高かったと思いますし、あとは、今回は舞台出身の、口語演劇というのですが、普段喋ってる感じで進めていくような舞台ですが、演技力は確実にある人たちなので、日本映画としてはみんな演技がいいねと言っていただけるのです。
 
矢田部PD:海外では、日本映画は演技が少し劣るという見られ方をされがちですか?
 
小野P:日本映画もいろいろとあると思うのですが、やはりテレビに出てくる方たちで固めている映画だと演技がテレビなんですよね。海外の人たちは演技に厳しいので、若い監督たちやプロデユーサーは、もっと演劇の人たちの芝居を見て演技力を大事にした方がいいと思います。
 
矢田部PD:テーマはどうでしょう? 日本映画は何かと閉じがちだとか言われますけれど。
 
小野P:深田監督は普段から社会的なことにも興味は持っていますし、インタビューなどでも外国人に対する排他的な問題とか、日本の場合はそういう問題がありながらも、日本は単一民族であるとか、そう言って隠している部分がある訳で、そういう意味ではテーマという部分もかなり受け入れられる要因ではあると思いますね。
 
矢田部PD:ということで映画祭を攻めて行きつつ、ビジネス面での交渉というのは、映画祭の出品交渉と並行してずっと行なっていく感じですか?
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
小野P:ビジネス面に関しては、東京テアトルに在籍していた方が最初からコエグゼクティブ・プロデューサーとして入っていただくことで、テアトルさんのブッキングはしていただいたというのがありました。その後ロッテルダムでの評価とか、東京もそうなんですが、事前の告知や新聞などのパブリシティで、好意的に書いてもらったというのも含めて、地方の力があり、良質な映画をやっている映画館の方たちから声がかかったのが、日本での興行の成功でした。まだ課題もあるとは思いますが、10館以上で上映されたので、このような小さな予算の映画としては及第点かなと思うのです。
 
矢田部PD:リクープ(制作費を回収すること)はもう出来ているんでしょうか?
 
小野P:まだ出来ていないです。日本の映画館は、回収するのに時間がかかります。本来であれば大きな会社だったら、私どもも自腹である程度興行成績が決まった段階で計上して、それを全部出資者に戻すということもするべきなのかもしれません。
ただ、数字的にはほぼリクープしているというか、DVDがある程度刷っていてセルが出た段階でほぼリクープできるんですけれど、まだレンタルが決まってなかったりしています。テレビも興味を持ってくれてはいてもまだ話してはいないです。
例えば海外では、映画祭の上映料をいただけますし、アメリカが決まって、アメリカのMGだけでもかなりの金額をもらうことになっています。契約はカンヌ映画祭でサインしたのですが、その後にやはり法的な問題が残っていて。というのは監督と契約書がないことで支払いが遅れております。私と深田監督は、映画を始めるとき仲間意識で進めた訳ですから、日本語でさえも契約書を作っていなかったので英語の契約書などはなかったんです。そこをつかれました。あと、アメリカは飛行機の売上がそこそこ上がっています。
 
矢田部PD:飛行機というのは機内の上映ですか?
 
小野P:私が直接やったのはシンガポール・エアラインだけなんですが、アメリカ側がアメリカの飛行機の会社と何社かやっているみたいなので、かなり見られていると思いますね。そういう意味では、売上の30~40パーセントの間ぐらいは、海外からのリクープです。
 
矢田部PD:先ほどアメリカでうけたのは少し意外だったとおっしゃいましたけども、実際ヨーロッパにも権利は売れたのでしょうか?
 
小野P:ヨーロッパはまだ交渉中だったり、ほぼ決まってるがその先は進まないという感じが多いです。ロッテルダム映画祭がこの映画を気に入ってくれたんで、ロッテルダム映画祭のDVDのレーベルが、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの美術館とか、そういう非劇場の権利などを欲しいということで、そこはまあ売れたというか契約はしています。
2011/10/26シンポジウム『歓待』

歓待』 ©歓待製作委員会

 
矢田部PD:映画祭を旅する映画というのは、日本では毎年数作品出てくる訳ですけれど、それと現地での劇場公開が決まる作品との間には、深くて広い川が横たわっている気がします。小野さんから見てその違いとはどういうとこにあると思われますか?
海外セールスにつなげるためには、こういうところが大事なんじゃないかというようなところがあれば教えていただけますか。
 
小野P:この映画はまず国内での回収が難しいというハンディキャップからスタートしている部分があるんです。
 
矢田部PD:それは、日本国内での興行成績にはある程度限界があるだろうということですか?
 
小野P:日本の成立する作品のほとんどが、原作ものなんですよね。それで、例えば20館以上上映されるものは原作ものが90パーセント以上なんです。でも私は原作ものではなく深田監督が持っているオリジナル性を高く評価していたし、例えば、『東京人間喜劇』はバルザックの人間喜劇から取ってはいるんですけれど、ただバルザックをまるまる東京に置き換えているのではなく、深田監督がバルザックを頭の中で解釈した上で、バルザック的に東京を描いているという作品なんですが、そういうことも深田監督には凄く脚本の面白さがあるんです。
監督のストーリーや脚本を作る能力の高さを評価して、私は原作ものではなくてなんとかやりたいと思ったのです。でも、原作ものではないというのがハンデではあるとは思います。それは、お金集めの段階から、なんで原作ものではないのかということを言われました。ただ、原作本にここまで頼っている国は日本ぐらいなのですよね。
 
矢田部PD:そこまでとはびっくりですね。
 
小野P:そういう意味でのオリジナル性を大事にしつつ、あとテレビに出ている役者さんを使っていないというのも、ある意味それもハンデだと思います。ハンデといってもそれを悪く見てはいけないので、であれば私たちの持っている強みは、海外とのネットワークじゃないかと思っていたんです。ただ逆を言うと、国内をもっと頑張らなければいけないという反省もあるんです。それは少しずつでも『歓待』をリクープさせることで、出資者や製作者たちに、やっぱりオリジナルで映画作ろうよという動きを作り始めるためにも、もっと国内で私たちも頑張りたいと思います。
あと公開して1年でDVDも出ますが、深田監督はこの作品は一生やりたいと言っていて、こまばアゴラ劇場などで舞台と併せて上映したりとか、そういう違う試みをしながらずっとやり続けたいという意識があって、それは非常に大事なことだと思うのです。それから、演技の良さも重要で、古舘寛治さん、山内健司さんはもの凄くいい演技です。山内さんの演技はフランス人が高く評価して、そういう意味でもひとりひとりの演技力と、あとは脚本の部分が受け入れられたということが何よりもこの作品の力になったかなと思っています。
2011/10/26シンポジウム

第23回TIFFグリーンカーペット登壇時の『歓待』スタッフ・キャストの皆さん
©2010 TIFF

 
矢田部PD:オリジナリティのある強い脚本と、役者のいい演技というのは原則といいますか、映画の根幹に携わる部分です。今そこが一番おろそかになっているので、逆説的な指摘になっているのかなという気がします。小野さんは若いクリエーターや監督たちが相談に来たら、相談に乗ってくれますか?
 
小野P:例えば、タイにも映画監督の友人がいるんですが、タイの監督やマレーシアやフィリピンの監督は国境を越えてもの凄いパワーがあるんです。海外のパーティなどでも集団としての勢力があり強さを感じます。その一方で日本の監督たちはなかなかパーティにも来なかったり。これは監督たちが行きたくても配給会社が連れて行かなかったりもするのかと思いますが。やっぱり一緒にいる強さ、一緒になって日本映画を世界に出して行くんだという感覚が他のアジアの監督たちに比べると欠けると思うんです。私はそこをみんなに頑張ってほしいと思っていて、そういう意味では北川 仁監督などは、釜山映画祭では森岡 龍監督と一緒にいろいろと動かれたみたいです。
いろんな問題もいっぱいあると思うし、やはりテレビ局が映画をたくさん作っていくというのもちょっとどうかと思ったりしますけれども。でもそういう問題は、ある程度、年取ってからの人間が提言していけばいい話で、若いクリエーターやプロデューサーたちは、ひとつの勢力みたいな感じで今後、海外でもっと暴れて欲しいと思います。
相談に関しては、相談がある方にはなんでも乗りたいと思いますし、力になることがあれば、なりたいと思います。
 
矢田部PD:一緒にまとまって頑張ろうぜ、という感じですよね。深田監督が会場にいらしていますので、ひとつふたつお言葉をいただけたらと思います。
今までの話をお聞きになって、海外進出の部分と国内興行の部分など、一年間とてもエキサイティングだったと思いますが、この一年間を振り返って深田監督の思いというのはどんなものでしょう。
 
深田晃司監督(以下:深田監督):東京国際映画祭で上映させていただいたことをきっかけに、私自身は出不精なので普段あまり旅行とかしないのですが、『歓待』で海外に連れてってもらえるという、まあプロデューサーの尽力もあってそういう状況になりまして、海外の映画事情、あるいは単純に海外で上映して海外のお客さんたちに見てもらって、直接感想を聞いたりするだけで日本人の考え方も相対化できるし、いろいろな価値観に触れることができたというのは大きな収穫でした。
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
矢田部PD:オリジナリティのある強い脚本と、いい役者という話がありましたが、脚本執筆中は海外のことを意識しますか?
 
深田監督:私自身は強い脚本と言っていただいて恐縮で、まだまだ反省点だらけなのですが、書いてる時は海外の映画祭とかは意識してないですね。特に、『歓待』という作品はどちらかというと、日本国内におけるいろんな、外国人だったり排除の問題を夫婦の問題とも絡めつつやってみたら、結局それはどこの国でも共通する普遍的なテーマだったことが海外で上映して分かりました。
さっき小野さんがおっしゃったとおり、移民や難民の問題など、日本ではまるでないことかのように社会の影に隠されてしまっている部分があるので、日本で上映するとそういったところに気づいてもらえないことも多く、それは思っていた以上でした。そういったモチーフは、海外だとみんな直ぐに気づくので、そういう意味で海外で上映し意見や感想をもらうのはスリリングな体験でした。
 
矢田部PD:普段は隠されているけれど、実は普遍性があるというテーマをこれからもやっていこうと思っていたりしますか。
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 
深田監督:僕はそんなに器用な人間ではないので、自分の書きたいもの、たまたま思いついたものを書くしかできません。ただ、僕自身が中学校のときからいわゆるシネフィルっぽい感じで昔の映画ばかり見て育ってきた人間で、そうすると80年前に作られた映画でも、21世紀に作られた映画よりよっぽど現代的に思えることがよくあります。だから国を越えるというよりは、自分が映画を作る時には、百年後に見ても面白いと思えるような作品を作りたいとは意識しています。同時に、今、自分たちが生きている世界に三脚を据えてカメラ回す以上、この社会と地続きの作品を作りたいと思うので、そのふたつのことを意識すると、結果的に海外の人が見ても普遍的になるんじゃないのかなと。まあ、そう言ってもなかなか実践するのは難しいのですが。
 
矢田部PD:でも、それが目標の立て方として正しい様な気がします。今日は、刺激的な話をしていただき、本当に有難うございました。
是非この稀有な、貴重な『歓待』という映画をみなさん暖かく見守っていただければと思います。
2011/10/26シンポジウム

©2011 TIFF

 

『歓待』オフィシャルサイト kantai-hospitalite.com
 
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『歓待』DVD情報
2010年10/24(日)『歓待』:記者会見(第23回TIFFサイトへ)
2010年10/31(日)受賞者記者会見(第23回TIFFサイトへ)

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第23回 東京国際映画祭(2009年度)