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2011.10.27
[イベントレポート]
今でも彼に恨まれていると思います――10/27 コンペティション『転山』Q&A

10月27日(木)、コンペティション『転山』の上映後、ドゥ・ジャーイー監督、主演のチャン・シューハオさん、女優のリー・タオさん、ニーナ・ハンプロデューサーが登壇、舞台挨拶の後、Q&Aが行われました。
転山

©2011 TIFF

 

ドゥ・ジャーイー監督(以下、監督):皆さん、こんばんわ。上映後の大きな拍手でもう賞をもらった気がします。ありがとうございました。
転山

©2011 TIFF

 
チャン・シューハオ(以下、シューハオ):(日本語で)皆さん、こんばんは。私はシューハオです。どうぞよろしくお願いします。
転山

©2011 TIFF

 
リー・タオ:初めて東京に来ました。ここが好きです。みなさんも私たちの映画『転山』を好きになってくれたら嬉しいです。
転山

©2011 TIFF

 
ニーナ・ハン プロデューサー:こんなにたくさんの方が映画が終わっても残ってくださってとても感動しています。撮影での喜びや苦しみ、すべてが価値があったなと今思っています。
転山

©2011 TIFF

 

Q.1回目の上映を観た友人に薦められて来ました。タイトルについてですが、“転山”というのは山をくるくる回るという巡礼を表わしていると聞きましたが、英語名の“KORA”というのはどういう意味でしょうか?

 

監督:まず、非常に映画を見る目があるお友達を持って幸せですね(笑)。“KORA”というのはインドのサンスクリット語からきているんですけれども、神聖な巡礼という意味です。

 

Q.かなり過酷な撮影に見えましたが、チャン・シューハオさんは身の危険は感じませんでしたか?

 

シューハオ:まず、海抜が非常に高かったことと非常に寒かったこと、それに加えて監督が僕をいじめ抜いたことですね。実際に肉体的にそんなに大変じゃない時でも、監督がこれでもかと過酷さを増してくれたので、それが大変でした。崖から落ちる場面が一番危険だったのですが、あれは監督に僕が頼んで、実際に自分でやりました。

 

Q.映画のエンドロールに誰かの誕生日というように出ていますが、どなたでしょうか?

 

シューハオ:カメラマンの誕生日だったんですけど、スタッフの誰かが誕生日のときは必ず祝いました。そして、東京国際映画祭のオープニングの日は僕の誕生日でした。

 

Q.実際にスタート地点からゴール地点まで自転車に乗られたというのは本当ですか?

 

監督:そうです。スタートからずっと彼に自転車をこがせて、僕はそのそばで見ていました(笑)。
 
シューハオ:段々、自転車に慣れてきて体力が出てきてしまったんで、最後の頃は一番下から山の上まで、監督たちは車で行って待ってて、僕をずっと2時間走り続けさせました。

 

Q.撮影では自転車は1台を使い回したのでしょうか?

 

監督:4台使いました。でも、本当に1台を彼と一緒に寝かせたいと思うくらい使い込みました(笑)。

 

Q.最高地点で紙を上に投げますが、あの紙は何なんでしょうか?

 

監督:あれはチベット民族の独特の信仰で、風、馬、神と書くそうなんですけれども5色の紙なんですね。青、黄、赤、緑、白と。それぞれが、例えば青は空を、白は雲を表わしているそうなんですけれども、その一番高いところに達した時にあの紙を天井に向かって投げると、まるでWifiのように神様と通信できて、神様がその人の願いを叶えてくれるという意味があるそうです。

 

Q:主人公が映画の中で、自転車でラサへ行く前の台湾にいるときに、すでに自転車のトレーニングをしていた設定なのですか?

 

監督:まあ簡単な訓練はしたと思うんですけども、特に心の訓練ですか? それの方が大きかったと思います。

 

Q:途中で2・3回チベットに人たちが作ってるバタークッキーみたいなのがあったんですけれども、すごくおいしそうだったんですけれども、皆さん食べてたとしたら感想を聞きたいのですが。僕はすごく食べたいと思ったのでお願いします。

 

監督:あの1個だけだったら結構おいしいと思います。僕はチャン・シューハオに5個食べさせたんですけど、5個も食べるともしかしたらおいしいとは思わないかもしれないです。

 

シューハオ:パサパサしていてすごくしつこい味です。

 

Q:中国国内の報道をいろいろ目にしたんですけれども、なんか聞くところによると、撮影中に監督はわざとシューハオさんを孤独にするために、スタッフもクルーもみんなにしゃべり掛けるなと、孤立させたというふうに聞きました。なんでそんなことをしたのか監督に聞きたいのと、シューハオさんはそういうことをされてどんなに辛かったか、その感想を聞きたいです。

 

監督:わざと彼を孤立させまして、キャストにもスタッフにも絶対に彼にしゃべり掛けるなと言いました。で、これは仏教の中にこういうことを言っているのがあるんですけど、「自分に向き合うことが必要である、そこに力が生まれる」と、なので僕は彼にそうなって欲しかった。そしてその彼の心の中からの力って言うものを映画に出したかったので、スタッフやキャストにそれを駄目にして欲しくなかったんですね。なので、そういうふうにしました。でもきっと、今でも彼はそれを恨んでいるんじゃないかと思います。

 

シューハオ:はい、僕はもともとがすごく外交的な性格で、すごく人と話すのも好きなんですね。だからこの物語の主人公とは、全然違うんですけれども、でも監督がそういう決まりを作ったがために、その日の芝居、撮影が終わって、みんながご飯を食べて楽しそうにおしゃべりをしていても僕はそこに交わることができずに、一人部屋に戻らなければいけなかった。気が狂いそうでしたよ。

 

Q:主人公はこの旅で心の平穏や何か得たものがあったのでしょうか?チャン・シューハオさんはかなり長く過酷なサイクリングをする主人公を演じられたわけですけれども、もう自転車も見たくない、サイクリングもしたくないと思われたのか、それともご自身でまた、長いサイクリングの旅に出たいと思うのか、お聞きしたいです。

 

監督:人間というのはそんなに簡単に変われるものではないと僕は思うんですね。ですので何か行動をしてたからと言って、人が変わるとかそういうことはないと思うんですが、その過程を経験したことで何か得ることはあると思います。ですからこの映画の中でも彼は台湾に帰って、確実にそのお兄さんのその死という影から脱却できたわけではないと思いますが何かひとつ、その一筋の光明を心の中では得てるんじゃないかと、私はそう思ってます。
主人公は、死と迎え合わせの恐怖というか、そういうものを感じていたと思いますが、その恐怖に打ち克ったときに、何か希望を得たんではないかと思います。

 

シューハオ:自転車はそんなに嫌にはなっていませんよ。ただチベットは、確かに自然は美しいですけど、チベットを自転車で行くのはもういいかなと。でもまあ友達に「チベットは良かったよ」っていうことは言えると思いますね。

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