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2011.10.29
[イベントレポート]
19世紀のイギリスと、現在のインドの対比が面白いと思いました。―― 10/26(水)コンペティション『トリシュナ』:Q&A

10/26(水)コンペティション部門『トリシュナ』のQ&Aが行われ、マイケル・ウィンターボトム監督が登壇しました。
 


©2011 TIFF
 

Q:マイケル・ウィンターボトム監は、トマス・ハーディの作品を映画化するのは3回目ですが、なぜこのタイミングで「テス」を選んだのでしょうか?
 

ウィンターボトム監督:これまでの作品でもよくありましたが、この作品も本当に偶然でした。
9年前に『コード46』という映画で、インドのオシアンという町で撮影をしていました。その頃のインドの状況というのは、19世紀のトマス・ハーディが生きていた頃のイギリスの社会にとてもよく似ていると思いました。つまり村落社会であったものが、都市化、機械化、教育環境によりどんどん変化をしている。同じ様にインドでは、もっと極端な形で様々なことが急速に進化しています。
例をあげると、インドではインターネットが盛んだったり、ブラックベリーの利用率が高かったりする反面、未だに井戸で水を汲んで生活をしている人がいるということです。その様なことから「テス」に描かれている19世紀のイギリスと今のインドを対比してみると面白いのではないかと思いました。
 

Q:私もインドで映画を撮影をしたことがあるのですが、現地で苦労したことを教えてください。
 

ウィンターボトム監督:そんなに悪いことばかりじゃないですよ(笑)
実はインドで撮影するのは3度目なんですが、インドが舞台という映画は今回が初めてです。ラジャスタンでは3度目の撮影となりました。
『コード46』は未来を舞台にした作品で、ラジャスタン、上海、ドバイ、イギリスで撮影を行いました。『マイティ・ハート』の時は、外観をパキスタンで撮り、内観をインドで撮りました。インドで撮影をするというのは様々な理由から難しいのですが、今回はとてもいい体験ができました。現地の人々がとても協力的で、凄く助かりました。
その理由は、自分自身を演じることが多かったからだと思います。例えばトリシュナの家族ですが、彼らは本当の家族なんです。お父さんは本当にジープの運転手で、実生活でも彼らは家族です。ホテルで働いている人は現実生活でもホテルで働いています。ダンサー役の人もダンサーですし、監督をやっていた人も本当に監督さんです。自分自身を演じてもらうことで、とてもポジティブないい経験ができました。
 

Q:インドで撮影するという案と、「テス」を描くという案、どちらが先に浮かんだのでしょうか?
 

ウィンターボトム監督:実はこの両方の案が、ほぼ同時に浮かんだというのが本当です。インドに行った時に、この環境でこの状況で「テス」を撮ったら面白いんじゃないかと思いました。
トマス・ハーディはとてもラジカルな作家だと思っています。個人と変化していく社会を対比させて描いていく作家です。古い社会に一本の足を残したまま、もう一本の足は現代に置いている。個人が二つの社会の間で引き裂かれていく悲劇を描いています。
この作品は19世紀のイギリスを舞台にした作品ですが、社会が進歩しているということを表現しています。150年以上前のイギリスは非常に進歩的でしたが、現代化のシンボルであった蒸気機関車をそのまま今撮るとなると、現代化というよりはノスタルジックな古き良き時代の象徴の様に見えてしまいます。ですので、変化し進歩している社会を現代で表すには、インドのような国がいいと思いました。19世紀前のイギリスよりも、もっと速い速度で変化しているインドが最適なのではないかと思いました。
 

©2011 TIFF

Q:最近の作品も勿論好きですが、初期の作品がとても好きです。監督の作品でイギリスの文化を沢山学んだ気がします。最近の監督の作品は、世界を大きな目で捉えることが多く、もう一度以前のような作品が見たいと思っているのですが、そのような作品を撮る予定はありませんか?
 

ウィンターボトム監督:実は、ここ5年くらいでイギリスを舞台にした作品を撮っています。父親が刑務所に入っていて、4人の子どもたちが刑務所に面会に行きながらも、実際の生活では父親不在のまま成長して行くという物語を撮っています。
イギリスでも仕事をしていない訳ではないのですが、おっしゃる通り世界中で仕事をするようになっています。どうしたらいいのか自分ではよく分からないのです。今暮らしているロンドンには世界中から人々が集まっています。今の時代皆さん旅行をしますよね。50年前、100年前だったら自分が住んでいるところから動かなかったと思うんですが、今では多くの方が世界中に移動する時代です。そういう時代の中、自分が住んでいる場所以外で撮影をすることも、自然な成り行きではないかと思っています。
 

Q:今日は梅林 茂さんが会場にお越しということですが、音楽を梅林さんにお願いしたのは、どのような経緯からでしょうか?
 

ウィンターボトム監督:私自身が梅林さんの音楽の大ファンだったからです。純粋に彼の音楽への愛からお願いしました。ラフカットを数枚見ていただいて、幸運なことに今回の仕事を引き受けていただきました。彼自身は「私はロッカーであって、映画音楽作曲者ではない。」とおっしゃるかもしれませんけど。
(ここで客席から梅林さんが「そうです。」とおっしゃっていました。)
 

Q:映画ではテレビの中や撮影現場で、歌って踊るインド映画の独特な雰囲気が流れていましたが、監督自身はインド映画はお好きでしょうか?また参考になさったり、影響を受けたりした映画はありますか?
 

ウィンターボトム監督:ボリウッド映画から直接影響を受けたということはないのですが、トリシュナが目指していた世界のイメージとして、ボリウッド映画があるということです。それは社会が急激に変化していることも示しています。
インドでは、多くの人が夢を持って生きています。ボンベイに行くと、何百万人の人々が映画産業で働きたいと思っています。勿論、その中で実現できる人はひと握りですが、社会が非常に速いスピードで変化していて、人々が「こうありたい」と夢が持てるようになった。実現できるかは別として、そこにアクセスできるようになってきたということが、ボリウッド映画を挿入することで表現できたと思います。
更に、ハーディの小説の中にもボリウッド的なところがあると思います。ロマンスがあり、人生がジェットコースターの様に急降下するところが、ボリウッド的だと思います。
映画の中に映画監督が出てきます。彼はインディー系ではありますが、本業もボリウッドの監督です。音楽を提供してくれた方もいるのですが、この方も本業はアマチュアの音楽家です。その監督を通じて知り合いました。
つまり個々のひとつひとつの映画に影響されたというよりは、出会った人たちに影響を受けたと言っていいと思います。
 

Q:素晴らしい映画をありがとうございます。まだ、ショックから回復できていない状態です。本当に素晴らしくて圧倒されました。小説は読んでいないのですが、何故「テス」が「トリシュナ」になったのでしょうか。私はインドネシア出身なんですが、サンスクリット語で「テレスナ」という言葉があって、この言葉は「愛」という意味です。もし「トリシュナ」も「愛」という意味なら完璧だと思いました。「トリシュナ」という名前についての背景を教えていただけますか?
 

ウィンターボトム監督:そういう意味では同じですね。
勿論タイトルを決めるにあたり、インドの人々にも相談しました。調べると「トリシュナ」という言葉には、色んな意味がありました。「愛」という意味もありますが、「渇望する」という意味もあります。そういう意味でも相応しいと思い「トリシュナ」というタイトルにしましたが、あまり意味だけに捕らわれず、ラジャスタンによくある名前にしようと思いました。象徴的なタイトルを付けようとは思っていませんでした。
 

Q:トリシュナ役のフリーダ・ピントさんについて、彼女がファースト・チョイスだったのか、どんな女優さんなのか等、監督の考えるところを教えてください。
 

ウィンターボトム監督:勿論フリーダ・ピントが、私たちのファースト・チョイスでした。リズ・アーメッドは、以前一緒に仕事をしたことがあったのですが、本当にこの二人がベストチョイスだと思いました。
フリーダについては、彼女の非常に直截的なところ、謙虚なところがすごくいいと思いました。テス、あるいはトリシュナの役柄に必要なのは素朴さや謙虚さでした。彼女はいつも受身であまり主張せず、本当は何を考えているのか観客が知りたくなる様なそういう魅力のある女優さんだと思います。
 

Q:不勉強なので原作も読んでませんし、監督の過去の作品も見ていません。この映画は私が見た限りでは、ジェイは殺す価値もない下衆野郎だと思ったので、「半殺しにして去っていけばいいのに。」と思ってしまったんですが、やはり彼を殺す必要はあったのでしょうか?
 

ウィンターボトム監督:非常に複雑な質問だと思います。
トリシュナは、ジェイに人生を賭けたのです。それはラジャスタンの伝統的な価値感だと思いますが、彼女は最初に関係を持った男性に一生を賭けるという非常にインド的な考え方を持った女性です。勿論、これが一般的なラブストーリーにはならない訳ですが、彼女がジェイに人生を賭ける決意をしたことで、彼女には他に選択肢が無くなってしまいました。「この人に付いて行くしかない。」というのが彼女の考え方なのです。
最初はある種のラブストーリーでしたが、彼女は徐々に性の奴隷の様になって行き、彼女にとっての逃げ道は、彼を殺すことしかなくなりました。そして彼を殺すということは、自分自身をも殺してしまうことになる。
おっしゃるとおり、彼は素晴らしい人ではありません。でも少なくとも最初に彼が恋に落ちたと思った時には、彼女に対して善意がありました。イギリスで育った裕福な彼と、ラジャスタンという伝統的な社会で育った彼女とのギャップは、ボンベイでは埋められていたものの、ラジャスタンに戻って来た時には、埋められなくなってしまった。
悲劇のもとは、ジェイの想像力不足にあると思います。彼は非常に恵まれた環境にあり、相手の気持ちを考えなくても何一つ問題がないような境遇で育ってきました。最初のうちは、彼女のことも考えていたかもしれませんが、ラジャスタンに戻って来てからは、彼は父親のホテルを継ぐことを優先した。それが彼女にとってどういう意味をなすか、彼女がどういう気持ちになるかは、彼には重要ではなかった。この様な彼の想像力不足が、彼女のフラストレーションになってしまいます。
つまり豊かな環境に育った彼が、相手の気持ちを考えず、相手の立場を理解しなくても生きて行けるということが、彼の弱みになって行き、この様な悲劇を生んだと言えると思います。
 

左から、客席にいらっしゃった梅林 茂さん(音楽)、ウィンターボトム監督
©2011 TIFF

 
トリシュナ

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