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2011.10.30
[イベントレポート]
真実とフィクションの哲学的な考察―― 10/27(木)アジアの風『孤独な惑星』:Q&A

10/28(金)アジアの風部門『孤独な惑星』のQ&Aが行われ、エダン・ツェイラ監督、脚本とプロデューサーを担当したヨラン・キフレスさんが登壇しました。

 

©2011 TIFF

 

――ヨランさんは車にひかれましたけど生きてますね(笑)

ヨラン・キフレス(以下、キフレス):映画の中で唯一実際に起こったことをとらえたのが私がひかれるシーンで、完治するのに丸2年かかりました(笑)
(その衝撃のシーンは予告編にも収録されています。)

 

――まずはお越しいただいたみなさんに一言お願いします。

エダン・ツェイラ監督(以下、ツェイラ): お越しいただきありがとうございます。とても光栄に思いますし、この映画も光栄に思っていることと思います。皆さんそれぞれ映画について疑問をお持ちだと思いますが、私はすべての疑問に答えるためにここにおりますので、お気軽に質問してください。

 

――白黒の再現部分、フェイクドキュメンタリー、インタビューによってこの映画は構成されていますが、どうしてこのような構成にしたのですか?

ツェイラ:ミシュカさんを他の人(幼少期のミシュカさん役の子役)が演じているシーン、ミシュカさん本人が話すシーンの違いを浮き上がらせて、2つの思想を表現したいと思いました。構成を単純に説明すると、前半はミシュカさん以外の人、後半はミシュカさん自身が語っているということです。ここで改めて確認しておきたいのですが、ミシュカさんが話しているシーンも含めて、すべての言葉が脚本に書かれており、フィクションです。実際に起きたのは、ヨランの事故とミシュカさんの幼いころの経験だけです(笑)

 

キフレス:この映画は、監督と一緒に脚本を書き始めました。ミシュカさんが、第二次世界大戦中に森の中でオオカミと暮らして生き残ったという武勇伝は有名で、ポーランドではヒーローなんです。その彼に敬意を表してこの作品を作りました。世界第二次大戦中にヒーローとして様々な困難や犠牲を払った活動した当時の人たちに敬意を払って、きちんと描きたいと思いました。

 

©2011 TIFF

 

Q: ミシュカさんのような幼い子どもがポーランドからシベリアまで歩けるものでしょうか?また、その後ミシュカさんはどのような人生を送られたのでしょうか?

ツェイラ: ミシュカさんは将校に会い、戦争の後、将校が彼をシベリアの寄宿学校に連れて行きました。しかし、なじむことができずに抜け出してしまいました。現在、彼はイスラエルに住んでいるのですが、やっぱり今でも人と話すのが苦手なのですね。そこで、私たちはあまり人のいないところに連れて行こうと思い、モンゴルで撮影しました。

 

Q:お2人はなぜミシュカさんを題材にしようと思ったのでしょうか?彼がユダヤ人だったからでしょうか。

キフレス: 彼がユダヤ人だからというわけでは決してありません。11歳の少年が家を出てオオカミの群れと一緒に暮らすというトピックは、映画を撮るに値すると思いました。映画の中で読まれているフランスの詩人、ブレッサンディアールは13歳の時に家を出て、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクを経由して中国まで行ったんですね。この映画で描いている、人と一緒にいるのが苦手という点が彼にも共通すると思いました。ミシュカの人生はこの共通点のもっとも牽引力のあるストーリーという事で、使いたいと思いました。

 

©2011 TIFF

 

 

Q: 脚本を書くにあたり、ミシュカさんに話を聞いてから書きあげたのですか?それとも、伝説化した話を周りの人から聞いて作ったのでしょうか。

ツェイラ: 脚本は私たちが考えました。目撃した人や記録について話してくれる人には脚本を見せず、1時間をかけてお話をきかせました。そしてその後、インタビューをして撮影しました。当時の記憶がある人でも、自分の中で神話化してしまったり、湾曲してしまったりしています。脚本というものは驚きに満ちていて、私たちの力の及ばないところで大きな力が働いていて、神のひと筆で変わってしまうようなものだという事が言えると思います。

 

キフレス:ここで映画の真実と虚像について少しお話します。ドキュメンタリーを見ていて、エレベストの頂上で「なんて私は孤独なんだ」と登頂した人が言っていても、後ろには撮影隊が連なっているわけです。真実とフィクションは、分けることのされにくいものです。ある意味、真実なんて何もないと言えるかもしれません。フィクションだけでなくドキュメンタリーと呼ばれるものも、すべて操作されています。真実とフィクションについての哲学的な考察は、この映画の一面でもあります。

 

Q: 子供が持っている動物性や本能性をオオカミが感知したというこの作品から哲学的なメッセージを受け取っております。こどもが自然のなかでオオカミになるという生成という事態が起こっているのではないかと思います。

ツェイラ: 喚起できたことを嬉しく思います。そのような哲学的な示唆をこめたわけではありませんが、ご覧頂いて心の深いところに触れる事ができたことをとてもうれしく思います。ドウモアリガトウ。

キフレス:子供のあり方は自然に近い存在なので、動物との関係は持ちやすいですよね。

 

Q: 最後に一言お願いします。

ツェイラ:私のパートナーがいなければこの映画は作ることができませんでした。脚本家、脚本家、ゴッドファーザーであるヨランさんなしでは作ることができませんでした。ありがとうございます。

 

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