【公式インタビュー】 日本映画・ある視点 『返事はいらない』
廣原暁監督インタビュー
廣原暁監督は長編デビュー作『世界グッドモーニング!!』で、昨年、バンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワードのグランプリを受賞。新作『返事はいらない』では20代のカップル、ユウとミケの浮き沈みするほろ苦い熟考の旅を描く。廣原監督に作品と制作過程、そして新世代の映画人作家として自分自身をどのように捉えているかを聞いた。
――前作『世界グッドモーニング!!』は高校生の話でした。本作は20代についての話です。監督自身の生活や同世代について描いているのでしょうか?これは監督の企画ですか?
廣原暁監督(以下、廣原監督):映画を作る時は、いつも自分と同世代の観客に向けて作っているという思いがあります。自分も作品も少しずつ大人になっていかなければならないという意味で、実際、次の作品の主人公は30歳ぐらいを想定しています。
――世代的なメッセージを伝えようとしたのか、それとも、ただ物語をきちんと伝えたかったのでしょうか?
廣原監督:私のなかでは、このふたつは分けることができず、常に表裏一体です。同世代に向けて明確なメッセージを持っているというわけではなく、明確ではありえないということが、私が思う今の若者の重要なテーマであるという気がしています。賛成なのか反対なのかを明確にしなければ、大人になれないような印象があります。しかし、そこに行くのが怖い、このまま踏みとどまりたいという思いと、いつまでもそうしてはいられないという葛藤があります。
――監督が映画を作るにあたって影響を受けた人物、作品について教えてください。
廣原監督:今までたくさんの人にお世話になり、多くの作品に影響を受けました。初めて、映画の力がすごいと感じたのは、青山真治監督の『ユリイカ』を観て感動したときです。映画というものは自分が知らない、自分が考えているよりものすごく奥深いものではないか、よくはわからないけれどとにかくすごいものだと思い、この世界にのめり込んでいきました。
――『返事はいらない』の英語タイトルは“No Reply”で、これは直訳すれば「返事なし」という意味になります。『返事はいらない』を直訳すると“No Need to Reply”になると思うのですが。
廣原監督:そのとおりです。正しく翻訳すれば、“No Need to Reply”になりますが、“No Reply”のほうが、なんだかかっこいいと思ったので(笑)。
――ユウとミケは、どうしたいのかがよくわからない人たちに見えます。彼らはよくゲームをします。意味もなくする場合もあるし、何かを意図してする場合もあるように思いましたが、ふたりの関係とゲームについて教えてください。
廣原監督:このふたりの場合、ゲームをするというよりも、ゲームは相手の気を引く、コミュニケーションをとるための手段といえます。ふたりはゲームをしたり音楽を作ったりしますが、これは暇つぶしとも言えますし、悪く言えば、できるのはそれしかないということなのかもしれません。しかし、映画の最後で、それが音楽というひとつの形になってあらわれます。人によっては音楽に聞こえる人もいますし、やはり形になってないなと思う人もいるかもしれませんが、私のなかでは形になってよかったと思っています。
――ふたりの関係は難しい時期を経て、間もなく終わるように思えるのですが、監督はどうお考えでしょうか?
廣原監督:難しい質問ですね。映画を作った時は、これはふたりにとって別れるために必要な時間であり、最後にはそれぞれの道を進んでいくと考えていました。しかし、今日、上映を観て思ったのは、ふたりは腐れ縁のような関係で、この後も彼女が荷物を取りにきたりいろいろあるだろうし、そんななかで、やはり関係は続いていくのではないか、次のステップがあるのではないかと思いました。ちょっと勝手に想像してみたのですが、もし彼女に子供ができていたら映画の続編ができるのではないかと。男の方が「それってオレの子?」と聞くと、彼女が「なんでそんなこというの、サイテー」なんて言ったりして(笑)。
――ユウとミケは、とても似ていますね。髪型も似ていて時々どちらなのか分からなくなりました。ふたりは喧嘩ばかりしているし性的関係もないように見えて、兄弟のように思えます。
廣原監督:映画が始まった瞬間から、ふたりは喧嘩をしていますが、ふたりが長い間つきあっていたことを表現したくて、長年連れ添った夫婦が似るように、ふたりを似た雰囲気にしました。お互いの役割があいまいになっているというか。
――ミケは音楽を作るために雑音のような音を立てますよね。しかし映画の最後には、あわさってひとつの歌となります。監督はこのことを通して、ご自身の映画作りのプロセスにも似たような面があるということを言いたかったのでしょうか?
廣原監督:おっしゃる通りです。最後に流れる音楽には、今まで聞こえてきたいろいろな音が流れています。彼が鳴らした音、彼女のリコーダーの音、窓の開け閉めの音だとか、そういったものが全部最後に彼のなかでひとつの音楽になり表現されるというのが、この映画で一番やりたかったことです。
――ユウとミケは誰か知っている人をモデルにしたのでしょうか、それとも全くのフィクションでしょうか。また、実際にあったことなのか、それとも作り話なのか教えてください。
廣原監督:卵を投げあったことはないので(笑)。ただ、自分や友だちの体験などがヒントになっています。現実では自分をもっと抑えるのですが、これは映画なので、自分も役の上でもそうはしませんでした。
――ユウのほうが何か行動を起こそうという態度が見えました。もちろん、ミケに対して好きになったり冷めたりと気持ちは揺れるのですが。一方、ミケはいつも無責任に見えます。
廣原監督:難しいところですね。ふたりは求めているものがそれぞれ違うというのはたしかです。ユウのほうが行動を起こそうとすると思えたのはどのあたりでしょう?
――ユウのほうが会話を始めようとリードします。それに、何か問題があれば出ていく。仕事も何かいい仕事についているように見えます。
廣原監督:そうですね、たしかにミケは無責任に見えるかもしれません。でも彼は彼女しか見えていないし、よく言うと、彼のほうが彼女のことを愛しているのかもしれない。一方、彼女は次の段階に行きたいという思いがあるのかもしれません。
――ユウが逃げてミケが追いかけているとき、「夕焼け小焼け」がバックで流れています。これは意図したものでしょうか?
廣原監督:はい、そうです。あれは後から録音しました。あの歌が好きなんです。「夕焼け小焼け」は日本では5時ちょうどに流れる。ふたりの間ではいろいろなことが起こり映画は進んでいくのですが、外では5時になり「夕焼け小焼け」が流れている。外を少し感じさせたいと思いました。
――子どもに家に帰りなさいと言っているように、ですね。
廣原監督:まさにそうです。
聞き手:ニコラス・ブロマン(映画ライター)
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