10/28(金)アジアの風『金(かね)で買えないモノ』の Q&Aが行われ、ビル・イップ監督、マカラ・スピナチャルーンさん、ジラーラット・テーチャシープラサートさん(ステージネーム:サラ)が登壇しました。
©2011 TIFF
まずは、パフォーマーであり、トランスジェンダーの権利活動家でもあるサラさんが、谷村新司さんの昴を歌いながら登場しました。「私、ドキドキです」と日本語で心境を明かし、指で作ったハートマークを客席へ投げるサービスも。観客はサプライズパフォーマンスに大きな拍手を送りました。
続けて、ビル・イップ監督、マカラ・スピナチャルーンさんが登場しました。
--それでは、最初に一言お願いします。
サラさん:私の名前はサラです。タイから来たニューハーフです。私日本語少しです。英語得意です。(日本語で)
日本に来ることができて、とても嬉しいです。もしこのなかにトランスジェンダーの人や、トランスジェンダーの人を応援したいという方がいらっしゃいましたら、拍手をしてください。
とサラさんが会場に呼びかけると、客席からは大きな拍手が起こりました。
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イップ監督:母国語の広東語でご挨拶させていただきます。私は100%の香港人であり、タイ語は全く話すことができません。しかし、映画を撮るという自分の夢を実現するために、言葉の通じないタイに行くことを決意しました。この映画のために3年をかけ準備し、財産をタイバーツに替えて飛行機に飛び乗りました。今回東京国際映画祭に来て感動したことは、『信じよう。映画の力。』という映画祭のスローガンです。この言葉を見たときに、私がこの3年間頑張ってきたことは無駄ではなかったのだと思いました。他の映画人と同じように自分の作品がこの映画祭で上映されるというのは興奮すべきことなのですが、その興奮と言うのは自分の作品を自慢したいというようなものではなく、映画が好きな方々に見ていただけるという点で、興奮しています。まだ名もない監督の、異なる言葉の作品を見に来てくださったことに、感謝しています。また、実際に皆さんがこの作品を見てくださったことを通して、映画の力を確信しました。ありがとうございます。
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――それでは続いて、この作品で長編主演デビューを飾ったマカラさん、一言お願いします。
マカラさん:サワディカー!
ここからマカラさん、タイ語で話し始めます。慌てて司会者と監督が止めに入ると、「タイ語の通訳はいないんだね」と一言。会場の笑いを誘いました。
マカラさん:ありがとうございます。ここにこうしていられることが光栄です。日本の皆さんがこの映画を見つけて、足を運んでくださったことを嬉しく思います。というのも、これは7人という少人数のクルーが1人何役も担当して作った映画です。そんな作品を、みなさんが目にとめてくださったことを嬉しく思います。おおきに!
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Q: 本日は素晴らしい映画を東京に持ってきてくださり、ありがとうございます。監督は自費をタイバーツに換金して撮影したということですが、差し支えなければ、その金額と、どのように貯金したのかを教えてください。
イップ監督:僕は高給取りではないので、長年映画の仕事などをやって貯めたお金と家を売ったお金をあわせて、200万香港ドルと225万米ドルを用意しました。
Q: 技術的な質問なのですが、7人のクルーで撮影されたという事ですが、どの機材を使われましたか?また、お1人が何役も担当されていたということで、どのような苦労があったのでしょうか。
イップ監督: 他にも何人かクルーはいたのですが、7人が主要な仕事を担当しました。人数が少ないため、例えば主役のマカラさんは主役を演じながら製作を担当したり、私自身も監督や脚本、編集を担当したり、1人何役も担当することになりました。チームがまとまりやすいこと、みんな細かいことにこだわらなくなることは、人数が少ないことの利点だと思います。撮影、食事、宿泊と常に一緒に行動することで、まるで家族のような一体感が生まれました。少人数だからこそ、このような良い作品ができたのだと思います。
Q: とても感動しました。特にサラさんのエピソードが印象的だったのでした。作品中でサラさんが基金を設立されたというニュースが流れますが、どのような基金かわからなかったので、説明していただけますか?
イップ監督: おそらく字幕上、もしくはセリフ上で説明する時間が足りなかったと思うのですが、あの基金はそれほど大がかりなものではありません。サラさんは子どもが大好きという設定なのですが、もともと男性であるため子どもを産むことはできません。それならば、「お金は使いきれないくらい持っているので、それを子どものために使いたい」とセリフのなかで言っているのです。そのための小さな基金という意味だったのですが、基金という言葉からみなさん大がかりなものを想像してしまって、このような誤解が生じてしまったのだと思います。
サラさん:私はトランスジェンダーの権利を求める運動のリーダーを務めています。監督と出会い、演技を通して自分が普段活動していることを表現する機会をいただくことができました。この映画は私の気持ちを代弁してくれています。
Q:大変興味深い作品でした。監督のお話を聞いていると、映画が大好きで仕方ない、という方なのではないかと思うのですが、マカラさんから見た監督はどのような人ですか?厳しく演技指導をする監督だったのでしょうか、それとも自由に演じさせてくれる監督だったのでしょうか。
マカラさん:最初、監督の撮り方にはなかなか慣れることができませんでした。お話したとおり、7人で映画を撮っていたので、広いサッカー場でテニスをしているような、つまりカバーする範囲は非常に広いのにプレーヤーが少ないという状態だったのです。最初はみんなやり方がわからず嫌がっていたと思います。ある日、ホテルの近くで監督が犬に噛まれて血だらけになってしまったことがありました。みんなは「これでやっと休みがもらえる!」と考え喜んだのですが、監督は包帯を巻いて、「撮るぞ!」と戻ってきたのです。
演技指導に関しては、シーンにあわせて自由にやらせてもらいました。自分ではやりづらい部分もありましたし、恥ずかしかったし、自信も持つことができませんでした。この映画では悪党を演じているのですが、周りからは映画を撮っているように見えないので、僕自身が悪党に見えてしまう。かなりリアルな映画なので危ないこともさせられましたが、映画になってみるとそれらが成り立っていることに気がつきました。
どんなに人数が少なくても、どんなに状況が過酷でも、みんながやっていることを信じ、楽しんでいれば、映画を作ることは可能なのです。
Q: 自分が生活している町で映画を撮った方が撮りやすいと思うのですが、なぜ監督はタイに渡ったのでしょうか。
イップ監督:先ほどおっしゃったように、私は映画が大好きです。撮るときにも色々な方法を使いますし、敢えて使うことが難しそうな方法も使います。私は映画のなかに色々な感情を入れて、それを伝えたい人に伝えることができると考えています。そのぶん、俳優さんや他のスタッフに無理を強いることになったと思います。この作品を撮ったことで僕は破産寸前になったわけですが、この映画を撮ったことは後悔していません。
タイには以前行ったことがあり、タイの人は善良で優しい人ばかりでした。私のような言葉のわからない外国人に対しても、優しく接してくれたのです。私は香港で生活し香港の映画界で働いているので、香港だと感覚が鈍ってしまうのではないかという懸念がありました。そこで、知らない土地へ行けばインスピレーションが湧いてきて、良い映画が撮れるのではないかと考え、タイに行ったわけです。